わが平成史 写真とフットボールを巡って 幻の「ボスニア企画」(平成8年/1996年)
平成という時代を振り返る時、大きなターニングポイントとなったのが、1995年(平成7年)という年だったことについては、おそらく多くの方に同意していただけることだろう。1月17日には阪神淡路大震災、そして3月20日にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生している。Windows 95が発売されたのもこの年。また(以前にも別の原稿で書いたことだが)、寅さん映画の最終作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』と、TV版『新世紀エヴァンゲリオン』の放映開始が同じ95年だったのも、今にして思えば何とも暗示的に思えてならない。
しかし私の人生が劇的に変化するのは、それからもう少し経ってからのことだ。95年に私の身の回りに起こったことといえば、私が担当していたテレビ東京の『ダイヤモンドサッカー』が3月いっぱいで終了したことくらい。当時の出来事については、スポーツナビの連載企画でも書いた(参照)。要約するなら、爆発的なブームによって開幕したJリーグに対して、民放各局が「オワコン」と見なすようになったということだ。そしてそれは「サッカーのテレ東」においても、まったく事情は変わらなかったのである。
それでもエンジンネットワークにおいて、サッカーの仕事が途切れることはなかった。続いて私が担当することになったのが『BSワールドサッカー』。今度はNHKの仕事である。イングランドのプレミアリーグ、ドイツのブンデスリーガ、そしてスペインのリーガ・エスパニョーラ。それぞれの注目ゲームの映像を編集して、日本語による実況と解説を付けて納品するという仕事である。実況はNHKのアナウンサーが担当。山本浩さん、野地俊二さん、内山俊哉さんといった錚々たる方々とお仕事をさせていただいた(もっとも当時の私は、依然としてペーペーであったが)。
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