宇都宮徹壱ウェブマガジン

アウエー感いっぱいだったブラジルに魅了されるまで WMフォトギャラリー<サンパウロ、ポルト・アレグレ篇>

 コパ・アメリカ取材から帰国して数日が過ぎた。ブラジルと日本との時差は12時間。通常なら深刻な時差ボケに見舞われるところだが、不思議とすぐに日常生活にアジャストすることができた。だがそれ以上に意外だったのは、今回のブラジル取材は想像していた以上に快適に過ごせたことだ。

 以前に書いたが、5年前のワールドカップでかの国を訪れた時は、心の底から消耗した。日本の22.5倍もの広大な開催国での過酷な移動。しかも現地の治安は極めて悪いため、常に荷物と周囲に気を配らなければならなかった。疲労が焦燥が蓄積する中、まったく心休まることなく日々の取材と執筆に追われ、原稿がどんどん荒れていく。これほど過酷な環境での取材は初めてだったし、自分自身の体力と気力の限界も強く認識させられた。

 もしかしたら、もう二度と訪れることがないと思っていたブラジル。しかし今回、20年ぶりに日本代表のコパ・アメリカ出場が決まったことで、再びかの国を訪れる機会を得た。当初はアウエー感いっぱいでグアルーリョス国際空港に降り立ったが、すべての取材を終えて帰国便に搭乗する時には「もう少し居てもよかったな」と思うようになっていた。この間、どんな心境の変化があったのか。写真と共に振り返ってみることにしたい。

 6月14日、合計28時間30分のフライトを経て、サンパウロのグアルーリョス国際空港に到着。南半球のブラジルは今が晩秋なので、17時でもかなり薄暗い。この日はコパ・アメリカの開幕日。ブラジルでの開催は1989年以来、実に30年ぶりということだが、あまり浮ついた雰囲気は感じられない。

 海外取材のスタートは、空港でのSIMカード購入からスタートする。ところが、どこで売っているかさっぱりわからないし、英語もなかなか通じない。あちこちさまよった挙げ句「ロッテリア」と呼ばれる宝くじ売り場で購入できることが判明。ところが「ブラジルのパスポートがなければ売れない」と言われ、さっそくアウエーの厳しさを痛感する。

 ブラジル入国翌日、さっそく行動開始。まずはモルンビースタジアムに行き、取材用のAD(アクレディテーション)カードを作ってもらう。ブラジルの人はなぜか私の名前を「てしゅいし」と発音するので、大声で呼ばれるたびに苦笑い。海外では「TSU」や「CHI」の発音が難しく、両方の発音がある私はいつも微妙な気分になる。

 何はともあれ、これでようやくブラジルでの取材がスタート。日本代表のトレーニングが行われている、パカエンブー・スタジアムに向かう。現場に到着すると、記念撮影を終えた選手たちがさっそくトレーニングを開始。晩秋とはいえ、日差しのコントラストの激しさに南米らしさを感じる。

 今大会、最も注目を集めているのは、もちろんこの人。久保建英のレアル・マドリー移籍は、サンパウロに到着する前のトランジットの際に知った。現場で取材が集中するのは必至と思っていたが、本人はいたって泰然自若。A代表として挑む初めての国際大会ながら、どの選手よりも落ち着いて見えるところに大物感が漂う。

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