あらためて考える「ブルーノ・メンデス」チャント事件 若者を萎縮させるゴール裏文化の是非をめぐって<1/2>
もしも「Jリーグ年間チャント大賞」なるものがあったなら、おそらくセレッソ大阪の「ブルーノ・メンデス」チャントを挙げる人が圧倒的に多いはずだ。このチャントについては、Jリーグの公式Twitterアカウントでも取り上げていたし、(参照)、石井和裕さんの興味深い考察も一読の価値がある(参照)。この中で石井さんは《メロディも歌詞も単純でとても短い。だから、セレッソ大阪のこともブルーノ・メンデスのことも知らない人でも、すぐに覚えることができたのだ。》と指摘している。
このチャントを一躍有名にさせたのが、ぽみさんというセレッソサポーターの女性である。6月22日のジュビロ磐田戦に勝利した試合後、彼女を含む4人の女子サポによる「ブルーノ・メンデス」チャントの動画が爆発的にバズって、他サポの間でも一気に広まることとなった。しかし残念なことに、今はこの動画を見ることができない。その理由については、自称「インターネット老人会」のUGさんによるこちらのツイートをご覧いただければ、おおよその察しがつくだろう。
私は今から4年前、セレ女(セレッソ女子)について現地取材をしたことがある(参照)。そこで得た実感は「セレッソのゴール裏は女性サポーターにも敷居が低い」というものであった。それだけに今回の残念な一件については「何が問題で、なぜそうなってしまったのか」ずっと気になっていた。人を介して、ぽみさんへの取材オファーも試みたが「今は目立ちたくない」との理由で丁重に断られてしまった。
それでも、動画がバズってから全削除に至るまでの流れは、彼女とのやりとりから把握することができた。それをベースに、今回の「事件」から見えてくる課題と教訓について、当事者に近い人たちと考えていくことにしたい。協力いただいたのは、前出のツイートをしたUGさん(写真左)、そしてセレッソのコールリーダーの濱田俊平さん。ちょうど浦和レッズ対セレッソ大阪の試合が行われる、まさにピンポイントのタイミングで、この座談会が実現した。最後までお読みいただければ幸いである。(取材日:2019年9月13日@埼玉)
<目次>
*セレッソの客層が変わり始めた2013年
*ブルーノ・メンデスのチャントは風呂場で生まれた?
*独り歩きする「ブルーノ・メンデス」のチャント動画
*若者が楽しんでいる動画に我慢できない人々
*スマホで自撮りする世代との埋め難いギャップ
*「応援はナンバーワンじゃなくてオンリーワン」
【編集部より】なお、今回の座談会で語られている「新世代のサッカーファンと動画との親和性」については、10月16日(水)開催のWMイベントの重要なテーマとなる予定です。ご興味のある方はこちらからお申し込みください。
■セレッソの客層が変わり始めた2013年
──本題に入る前に、せっかくなので今日の浦和対セレッソというカードについて、おふたりの所感を伺いたいと思います。浦和にとってのセレッソとの相性って、どのような感じなんでしょうか?
UG ずいぶん前に、埼スタでの最終節で2-5でボコボコにされたことがあったよね。あれはもう背筋が凍ったよ。
濱田 南野拓実がいた頃ですから2013年でしたね。
UG 若い選手が多くてさ、しかも結構イケメン揃いで、ひたすら眩しく感じられた。そういう辛い記憶はあるんだけど、モリシ(森島寛晃)がいた頃のセレッソはけっこう見ていたよ。モリシの現役時代って覚えている?
濱田 もちろん見ていましたけれど、がっつりゴール裏で応援できる立場ではなかったので、小中学校の頃の憧れの人っていう感じですね。2002年のワールドカップでゴールを決めた時は、まだガキンチョでしたし。
UG そういう世代がコールリーダーやっている時代になっちゃったんだよ(笑)。さっさと俺らみたいな年寄りをゴール裏から、どんどん追い出していってほしいよね。そうしないとJリーグが回っていかないと思いますよ。
──いつ頃から濱田さんは、セレッソのゴール裏に出入りするようになったんですか?
濱田 2006年とか07年くらいですかね。もともと近所に住んでいたので、小さい頃からよくスタジアムには連れて行ってもらっていたんです。その時は応援するという感じではなくて、学生のときにたまたま学校の友だちに誘われたのがきっかけですね。
──コールリーダーになったのはいつから?
濱田 先ほど話にあった2013年ですね。僕の前にやっていた人が退くことになって、隣でトラメガを持っていた僕に「次は任せたよ!」という感じで。その時はまだ20代前半だったと思います。
──ずいぶんと若いコールリーダーですね。
濱田 ゴール裏って、それぞれのクラブによって違いがあると思うんですけど、ウチの場合はコールリーダーという役割は、それほど明確ではいないんですよ。立場上「コールリーダー」と呼ばれていますし、ゴール裏を仕切る立場ではあるんですけど、自分で自分のことをリーダーって呼ぶことは基本的にはないですね。
UG ちょうどその頃って、セレ女ブームがあったんじゃない?
濱田 それも含めて、スタジアムに来る客層に変化が出てきたのが、この時期でしたね。それまで1万人来るかどうかだったのが、いきなりバーンと増えていったんですよ。スタンドの人数も急に増えるし、黄色い声援が多くなるし、その中でコールリーダーを任されるようになったので、正直やりづらく感じるところはありましたね。今だったら、もう少し上手くやれたような気がするんですが。
──セレッソのゴール裏に、若い女性ファンが集まり始めたのって、12年のロンドン五輪がきっかけだったと思います。あの時は山口蛍と扇原貴宏が選ばれて。
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