宇都宮徹壱ウェブマガジン

キャンプから始まったロシアと静岡のサッカー交流 「2002年の記憶をめぐる旅」番外篇<1/2>

写真で振り返る「2002年の記憶をめぐる旅」<新潟・静岡篇>

 今週と来週は、THE ANSWERにて連載中の「日韓W杯20年後のレガシー」にて寄稿した原稿と写真をもとに、フォトギャラリーとインタビュー記事をセットでお届けする。今週は<新潟・静岡篇>ということで、静岡でお会いした綾部美知枝さんのインタビューを掲載することにしたい。

 綾部さんといえば、女性指導者の草分けとして知られる一方、1994年に小学校教員から清水市教育委員会スポーツ振興課に異動。翌95年にサッカーのまち推進室室長に就任し、日本平スタジアムの改修工事や清水ナショナルトレーニングセンター建設、さらにはロシア代表のキャンプ誘致にも関わっている。

 実は今回のインタビューでは、どこまでロシアの話題を踏み込んでよいのか、綾部さんとお会いする前に若干の逡巡があった。ロシア軍のウクライナ侵攻から、ちょうど2カ月というタイミング。キーウ近郊ブチャでの虐殺のニュースは世界中を駆け巡り、ロシアに関するすべてのものが憎悪の対象となっていたと言っても過言ではない状況だったからだ。

「もしかしたら綾部さん、ロシア代表キャンプのことは思い出したくないのかも」──。そんな危惧を抱きながらのインタビュー。幸いにして私の危惧は杞憂となり、20年ぶりに明らかになった事実も含め、さまざまな証言を得られることとなった。特に静岡に地縁のあるサッカーファンには、ぜひとも読んでいただきたい内容となっている。(取材日:2022年4月23日@静岡市)

<1/2>目次

*日本代表合宿は清水で行われる予定だった?

*右翼の街宣車対策とピッチに撒かれた除草剤

*ロシア出張のミッションは「絵画とシロクマ」

日本代表合宿は清水で行われる予定だった?

──今日はよろしくお願いします。綾部先生といえば、古くは大木武さんや風間八宏さん、さらには、長谷川健太さんや大榎克己さんや堀池巧さんを小学生時代から指導されてきたことで有名です。1994年に小学校の先生から、清水市の教育委員会に異動されるわけですが、これはご自身が希望されていたことだったんでしょうか?

綾部 いえいえ、私はずっと小学校の教師でいたかったので、泣く泣く異動しましたよ(笑)。最初は教育部長からお話をいただきまして、お断りしていたら次は助役、最後は市長まで出てきました。結局「3年すれば戻れるんじゃないか」という、かすかな希望を懐きながら異動したんです、それで最初に関わったのが、清水市のナショナルトレセン建設に関わる仕事でした。

──ということは、JFAとのやりとりができる方が、市としては必要だったと。

綾部 そうですね。意外に思われるかもしれないですが、当時の清水市にはJFAに向き合える人がいなかったんですよ。そこで一般の人を入れるよりも、学校の先生を異動させるほうがいいということで、私が選ばれたようです。私の所属先は「サッカーのまちづくり推進室」。つまりサッカーを活用したまちづくり、というのが主な仕事でした。

──1994年といえば、ちょうど日本平スタジアムが改修工事に入っていたタイミングだったと思いますが。

綾部 それも担当させていただきました。スペースの問題で「記者席をバックスタンドに移転させてはどうか」という意見があったんです。もちろん私は反対しましたよ。試合が終わったら、すぐに会見やミックスゾーンに降りていけるようになっていないと、メディアの皆さんに笑われます。そう説得して、今の形になりました。

──清水といえば「サッカーの街」とか「サッカー王国」と言われていますけれど、Jリーグが始まったばかりの頃って、びっくりするような話が満載だったんですね。

綾部 そうなんですよ。エスパルスはできたけれど、清水市としてどうやって関わっていけばいいのかということを、当時市長だった宮城島(弘正)さんはいろいろお考えになったんです。宮城島さんはサッカー出身の方ではなかったですが、サッカーを通した街づくりということを一生懸命お考えになっていました。私の考えについても、真摯に受け止めていただいたので、今でもとても感謝しています。

──理解のある市長さんと一緒に手掛けたのが、日本平の改修工事であり、ナショナルトレセンの建設だったわけですね。後者に関しては、どのようなところに綾部さんの意向が反映されたのでしょう?

綾部 ナショナルトレセンに関しては、設計の段階から関わったので、かなり反映していただきましたね。たとえば現在、フットサルコートがある場所は当初は谷になっていて、水路に橋をかける計画でした。それだとボールが落ちたり、怪我をしたりするリスクがありましたので、蓋をしてフットサルコートを2面作ることにしたんです。水路の確保がちゃんとできて、しかも安全も確保されています。

──なるほど、フットサルコートの下は水路だったんですね。ところで清水のナショナルトレセンは、もともと日本代表の合宿を前提として作られたと聞いたのですが。

綾部 そうです、完成したのは福島のJヴィレッジが先でしたが、JFAへのアプローチはこちらのほうが早かったです。日本代表がトレーニングする場所をJFAが探していたところ、最初に手を挙げたのが清水市だったんです。ただし議会を通す必要がありましたから、先に東電の施設が完成したので、皆さんそっちに向いてしまいましたね。実は2002年ワールドカップでも、本当は日本代表のキャンプは清水になる方向で話が進んでいたんですよ。

──え、そうだったんですか?

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