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「栃木フットボールマガジン」鈴木康浩

【蹴辺の栃木たち】第二回 栃木SCのエキップ齋藤裕行、スパイク職人への道。

栃木サッカー界の周辺で活躍する人たちのストーリーを紹介する『蹴辺の栃木たち』。連載第二回目は、栃木SCのエキップとして活躍する齋藤裕行氏をピックアップ。周辺じゃなくてど真ん中だ、というご指摘もあるでしょうが、栃木の大事なキーマンということでご容赦を。

齋藤裕行(さいとう・ひろゆき)。栃木県宇都宮市出身。現栃木SCエキップ。2011年から鹿島アントラーズ スクールコーチ、2012年から 栃木SC副務、2015年から 再び栃木SC 副務として従事し、今季から肩書がエキップに変わった。

 

スパイクを加工する技術が徐々に知れ渡っている栃木のエキップ

 

スパイク職人、齋藤裕行――。

 

齋藤さん自身がTwitterで選手たちのスパイクの画像をアップしているので、ちょっとずつそんな紹介の仕方が広まってもいいかもしれない。

 

齋藤さんは栃木SCのエキップとして、チームの用具を準備するなど練習や試合のサポート全般をこなすスタッフだが、ここでは「スパイク職人」としての一面を紹介してみたい。

 

「今までは忙しくてなかなかスパイクのケアができなかったんです。クラブにスパイクを置く場所もなければ、選手たちから預かってはいるけど磨いていませんでした。当時は試合前に選手たちが自分たちで磨いている状況でした。それが2015年まで。でも、2016年からクラブハウスができて、スパイクを洗える環境ができたことがきっかけでした」

 

誰かにやってほしいと言われて始めたことではないという。

 

「もともと、スパイクをいじるのが好きだったんですよ」

 

齋藤少年はスパイクをいじるのが大好きな少年だった。幼少期から海外のサッカーに憧れて、大学時代にはスペインにサッカー留学をしている。

日本に戻ってきてからはサッカーの職に就くことを考えたが、有力なつてがなかった。そこで履歴書を各Jクラブに郵送し、連絡を待った。すると数クラブから連絡があり、そのうち人手を欲していた鹿島アントラーズの面接を受けて、スクールのアシスタントコーチになった。

 

その後は栃木SCの副務などを経験して、紆余曲折を経て、2015年から再び栃木SCのスタッフとして加入、エキップとして今にいたる。

 

Jクラブでは用具などを管理するスタッフを称して“エキップ”とするところと、”ホペイロ“とするところに分かれるようだ。

僕は以前、現在京都サンガに所属する、おそらく日本でもっとも有名なホペイロである松浦紀典さんを取材したことがある。松浦さんは長く名古屋で働かれていた方で、闘莉王や本田圭佑といった選手たちが日本代表選手になってからもスパイクの管理をお願いされ、徹底管理するために、都内にスパイク専門のマンションを借りている、といったプロな話を聞かせてもらった。

 

松浦さんはまず選手のプレーをじっくりと観察、それから「ソールを3ミリほど削るとキックの抜けがよくなるよ」といった、必要だと思う加工を提案、選手たちと二人三脚の関係性を作っていた。非常に謙虚な方で、本当にスパイクが好きだということが伝わってくる、笑顔がチャーミングな方だった。

 

齋藤さんもまさに今、選手たちとそういう関係にある。

 

「去年でいえば、大石(治寿)。180もないのに彼は28のスパイクを履いていたんです。『そのスパイクを1センチ小さくすれば、もっといいプレーできるよ』と提案して、27を勧めたんです。それと、芝の上でも土用の、ポイントが短いスパイクを使っていたんです。『それじゃあ滑るから、こっちのほうがいいよ』と、芝用でポイントも長めのスパイクを提案して加工して渡してあげました。ツグは『サッカーのためにそれがいいんだったら履きます』と言って受け入れてくれたんです」

 

「菅ちゃんも、(廣瀬)浩二さんも、滑らないことに拘りを持っていて、スパイクのポイントも固定式と取り替え式をミックスして加工したものを使ってくれています。浩二さんは雨の日じゃない晴れの日でも滑らないように雨用のスパイクを履くほどです。僕が加工して作ったスパイクを履いてくれるので、少なからず信用してくれるんだなと思っています」

 

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