松井、高崎、禹相皓を相次いで獲得。話題のサイゴンFCを徹底解剖
元日本代表で、日本を代表するファンタジスタであるMF松井大輔をJ1横浜FCから獲得したベトナム1部サイゴンFCが、にわかに注目を集めている。松井の獲得に留まらず、サイゴンFCは、J3のFC岐阜からFW高崎寛之、J2の栃木SCからMF禹相皓を相次いで獲得。元Jリーガーを一度に3人も補強するというのは前代未聞だ。これが他の東南アジアなら、それほどの驚きではないが、とにかく大柄な選手が重宝されるベトナムリーグでは過去20年で日本人選手が僅か4人しか在籍せず、この数年は1人も日本人選手がプレーしていなかった。サイゴンFCはなぜ、クラブの“日本化”に舵を切ったのだろうか?
新興クラブ「サイゴンFC」その複雑な歴史
まず初めに言わなければならないのは、2011年設立の新興クラブ「サイゴンFC」は地元サイゴンっ子から、その存在を認められていないこと。このクラブは、もともと首都ハノイを本拠地とするハノイT&T(現ハノイFC)のセカンドチームとして活動していたものが、2016シーズン途中に南部の商都ホーチミン市(旧サイゴン市)に電撃移転して誕生したものだ。国内2大都市であるハノイとホーチミンは、気候・文化・習慣・言語などもかなり異なる部分が多い。ベトナム戦争中には南北が長い間、別々の国として分断され、両市はそれぞれの国の首都だったという過去も持つ。
そうした背景から、ある日突然移転してきたハノイのセカンドチームが、縁もゆかりもないサイゴンの名を語るのを鼻持ちならないと感じていた人々は相当多かったに違いない。それ以前にもハノイから移転してきたクラブはあったが、いずれも長続きせずに短期間で解散している。サイゴンFCは移転後から地域密着を叫んではいたが、正直、観客動員数はリーグ最低水準で、お世辞にも戦略が上手くいっていたとは言い難く、地元っ子からは冷めた目で見られていた。
もう一点、ファンが不信感を抱いていた部分としては、クラブと地場コングロマリット「T&Tグループ」のドー・クアン・ヒエン会長との密接な関係がある。T&Tは、ハノイFCのオーナー企業であり、ベトナム1部SHBダナンFCも同グループ傘下サイゴン・ハノイ商業銀行(SHB)がオーナー企業となっている。当然、ハノイのセカンドチームだったサイゴンFCもこの傘下にあったわけだが、2013年にヒエン会長の親友で、ビジネスパートナーでもあるグエン・ザン・ドン前会長に譲る形で、それぞれ別のクラブとして運営することになった。ただし、両クラブ間では選手・スタッフの頻繁な入れ替えがあり、実際には強い協調関係が続いていた。サイゴンの人々からすれば、単にホーチミンで活動しているだけのハノイのセカンドチームという印象は全く変わっていなかった。
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