松沢呉一のビバノン・ライフ

売買春を買売春と言い換えることの愚- [ビバノン循環湯 33] (松沢呉一) -4,339文字-

「さて、次は何を循環するかな」と自分の書いた古い原稿を読んでいて、「おー、いいことを言うな」と感心する文章を発見。今から15年ほど前、「セックスワーク」「セックスワーカー」という言葉が議論されていた頃に書いたもので、この言葉に対する抵抗がありつつも、意義については重々理解していて、その意義について書いたもの。忘れてました、この視点。

この原稿は、1999年に「創」に書いたものに加筆して単行本用にまとめたもの。ゲラまでできていたのですが、結局、この単行本は実現せず。原文はこの4倍くらいの長い原稿です。長すぎるので、その一部を切り取りました。注はもともとあったのですが、「ビバノン」用に書き直しています。あとはほとんど原文通り。

「セックスワーク」という言葉の意義、「売買春」を「買売春」とすることの愚、「買春」がフェミニストの造語であるとすることの間違い、売防法による性犯罪増加のデータなど、今回ここに出した一文だけでも腹いっぱいの内容かと思います。

 

 

セックスワークという言葉の意義

 

vivanon_sentenceセックスワーク」というキーワードが重要なのは、これまでの売買春否定、あるいは肯定の論理が働く者たちを無視したところで成立していたのに対して、働く側の主体性が先行する道筋を示したことにある。

 

「彼女らは強制されている」との思い込みに対して、「私は強制されていない」と主張すること。

「彼女らは自分の意思でやっていると思っているが、社会から強制されている」と飛躍させることに対して、「自分の意思でやっていることをこの社会では強制されていないと言う」と主張すること。

「心がボロボロになる」と決めつけることに対して、「現にボロボロになっていない」あるいは「ボロボロになったとしても、それを選択するのは私である」と主張すること。

「四千万の主婦のために犠牲になれ」と売春婦を切り捨て、または「婦女子の貞操を守るために犠牲になれ」として「特殊な女たち」を囲い込もうとすること対して、「犠牲になる気はない」と主張すること。

「売春を認めないと性犯罪が増加する」として、その実、買春の権利、客の権利」を主張することに対して、「売春する権利を認めろ」と主張すること。

「男女の理想的な関係において売買春は望ましい関係ではない」として、いつ実現するかもわからない遠い理想を掲げたり、「本当のセックスを彼女らは知らない」などと自分のみがわかっているかのように決めつけたり、「私はしたくない」と個人の好悪の感情のみを根拠に売買春を否定することに対して、「ほっとけ、アホ」と主張すること。

 

これまでのほとんどの売春否定は現状の認識から結論まで外部の事情によって決定されてきた(注1)。廃娼運動や売防法推進運動もその実態は決して人権運動ではなく、彼らが信じる道徳を広めることに主眼があった。彼らにとって売春する者たちは「醜業婦」でしかなく、こういう存在がいるから、社会に悪影響を与えるとした。

それに対抗する多くの公娼制度維持論者もまた一般婦女子の貞操を守り、病気の蔓延を防ぐことを名目にしていて、公娼制度を否定する側と肯定する側とが、売春は今すぐなくすべき「悪」であるのか、いつかはなくすべきとしても今はなくせない「必要悪」であるのかを議論し、濠と塀の外側で、廓の中にいる女たちの存在を見ずに、ああだこうだと言い合っていたのである。

公娼制度維持論者のこの発想はそのまま戦後も引き継がれ、一般婦女子の貞操を守る「性の防波堤」として進駐軍のための売春組織RAAが国家のバックアップにより結成される。街にはパンパンが溢れ、公娼制度がなくなってもなお、あるいは公娼制度がなくなかったがためにこそ、彼女が公然と街頭に繰り出したことをどちらの勢力も苦々しく思い、片や売防法を制定して、管理売春も街頭での売春勧誘行為も禁止して売春の根絶やしを狙い、片や赤線として「集娼」の業態を保持しようとした(注2)。

これに対して、新吉原女子保健組合など赤線従業婦組合が遂に自分らの声を上げ始める。しかし、彼らの主張に耳を傾ける者はほとんどおらず、まして、いくらかの自助グループは結成されていたものの、烏合の衆であった街娼たちの意見が取り上げられるのは、「ラクチョウのお時」のように、同情でくるめられる範囲のことでしかなかった(注3)。

当然ではある。誰もが自分らの都合でしか売春を語ってこなかったのだ。当事者の声はいずれの勢力にとっても邪魔だったのである。

 

 

買春という言葉は古くから使用されていた

 

vivanon_sentenceこういった流れに対して、セックスワーカーという名の働く者たちが、力点を国、社会、客から自分らの手元に手繰り寄せて、売春を職業として位置づけ、自らを肯定し、よりよい労働環境の実現を目指す動きが世界各地で起こってきた。そして、この日本でも。

おそらくこの言葉は『セックスワーク』の翻訳がきっかけである。先駆的な動きが潰されて長い時間が経った。その先駆的動きを評価しないまま、あたかも海外からもたセックス・ワーク―性産業に携わる女性たちの声らされたかのような印象になることへの腹立たしさはある。また、この本の内容は、今現在の日本とは大きく違う、それでも、この言葉の意義を認めないわけにはいくまい。

しかし、ようやく売春を自分たちの問題として語ろうとするこの動きを何としても認めたくない人々がいる。彼らは性の商品化はもっぱら客側=男側に責任があり、彼らを責めるべきとの名目で「買売春」との言葉を創作してのけた(注4)。

そのような文脈において「売買」を「買売」と引っ繰り返すのであればまだしもとして(それもくだらない。「売買」は「売買」と書くのが日本語だ)、文脈を問わず、「買売春」と表記する人々は、「売買春はつねに悪、その責任は客側にある」と考えているのだろうが、金を受け取る側の主体性を曖昧にし、当事者の権利主張の意義を逸らし、再度この問題に、当事者不在の外部の思惑によって判断を下そうとすることであり、男が主、女が従という旧態依然とした発想を持ち込むことでもある。

たしかに「売買」という日本語をひっくり返したのはフェミニストだろうが、「買春」という言葉は、フェミニストたちの造語だとの間違った情報を流している人たちがいるので、ここで訂正をしておく。

 

 

日本の男性たちのセックス・ツアーが日本国内で初めて浮上したのは1973年春韓国女性たちがキーセン観光反対の声をあげたことがきっかけだった。(略)羽田空港でソウル行きの飛行機に列をなす男性たちに「恥を知れ!買春めあての観光団」などと書いたチラシを配った。このチラシに初めて「売春」でなく「買春」という新しい日本語を書いたのだった。

 

 

これは『買春に対する男性意識調査』(1998/男性と買春を考える会)掲載の松井やより著「アジアと買春−−セックス・ツアーと人身売買」の一文。松井氏の認識が元になっているのか、同様のことを書いている人は他にもいて、いつもの如く調べが甘い人たちだ。自分らの思い込みを疑うことを知らないとこうなりやすい。

 

 

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