卑罵語の仕組み-バター犬と性差別 4-(松沢呉一) -2,936文字-
「谷岡ヤスジの衝撃-バター犬と性差別 3」の続きです。
「バター犬」はなぜ罵倒表現足り得るのか
なんでこんなことから説明しないといけないのかわからんですけど、ああも安直に他人の言葉を「セクシズム」だと決めつけて恥じない人たちがいるので、なぜ「バター犬」がが揶揄として成立するのかを確認しておきます。
簡単な話で、バター犬は犬だからです。権力に媚びる人たちを「権力の犬」と呼ぶことはあまりによくあります。以前から、官邸前の行動で、警備に対して「権力の犬」と罵倒してくる年配の人たちがいることを書きましたが、今回の国会前の行動においても、その言葉を警備に向けてくる人たちがいたと聞いています。
それを「バター犬」とした時に、具体的な対象に対して、具体的な行為を示したと思い込んだ人たちは飛躍が過ぎようかと思います。
「バター犬」は「権力の犬」の強度を高めたものであり、谷岡ヤスジのキャラを踏まえた上で、「猥褻」を罵倒表現に持ち込んだとすべきでしょう。
「猥褻語」は「卑語」とも言います。「卑語」は多くの場合、糞尿に関する言葉も含むため、「猥褻語」より範囲は広いのですが、俗語と呼ばれる範囲に留まるため、猥褻足り得ても卑語には含まれないワードもあります。
「クソ野郎」「クソ食らえ」「チンカス野郎」「キンタマの小さいヤツ」「ケツの穴の小さいヤツ」など、卑語が罵倒表現に転用されることは多く、これを「卑罵語」と呼びます。これはどの言語にも共通して存在する表現です。卑罵語についての論考は古くからなされているので、詳しくはそれらを参照していたくとして、ここでは簡単に説明しておきます。
「おまんこ野郎」の意味
言葉の輪郭を明らかにするために、こんな話を。
https://www.youtube.com/watch?v=oTGPui-xJu4
この中で、「おまんこ野郎、FM東京」と歌っています(現TOKYO FMですが、この時のまま以下、FM東京で統一します)。この場合の「おまんこ」はどういう意味でしょう。具体的な人物を挙げているわけではないので、「女性器みたいな顔をしている」ということではありません。
「おまんこ野郎」という言葉には「何よりマンコが好き」「セックスばっかりしているヤツ」という意味が含まれることも稀にはあるかもしれないですが、FM東京という法人にそんな意味を含めるとも思えない。女性器自体を貶めているわけでもない。
つまり、この場合の言葉は具体的な器官や行為を直接に指すのではないわけです。FUCKと同じです。
FUCKという罵倒表現はセックスという行為をほとんど感じさせることなく使用されます。
この言葉は人前で使うのが憚られるからこそ使用されるのであり、卑語である必然性はそこにあります。日常的には頻繁に使用されながらも、公共の場では使われず、テレビや新聞では伏せられる。伏せられるがゆえに罵倒表現としての強度を保ち続けているわけです。
「おまんこ野郎」も同じ。テレビであるがゆえに選択された表現でしょう。「ちんぽこ野郎」でもいいのですが、「おまんこ」の方が公然と使ってはいけない度合いが強い分、罵倒の強度が強い。この選択に怒りがあります。
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