アルコール依存症とAAとセックス—下戸による酒飲み擁護 9- (松沢呉一) -2,709文字-
「禁酒運動から脱すべし—下戸による酒飲み擁護 8」の続きです。
アルコール依存症は本当に厄介
このシリーズの1回目「酒癖の悪い人たち」に書いたように、私の周辺には、ほとんどつねにアルコール依存症の人がいます。人にもよりけりですが、厄介な人は相当に厄介です。約束は破る、衝動的な行動に出る、言ったことを忘れる、ベタベタと人に頼る。酔っぱらいの悪い面を見事に兼ね備えています。
そうなると、仕事を失い、友人、知人、家族は見放す。見放されて孤立することで、いよいよ酒に走るという悪循環にハマり、最後は孤独に死んでいく。
アルコール依存症に完治はないですから、またそのうち復活するかもしれないけれども、とりあえずは立ち直った元担当編集者のT君は、その点、かなりマシな方でした。
酔うとひどいけれど、たまにスリップしつつも(酒を飲んでしまうこと)、また、脳が萎縮しつつも酒を断つことに成功。
そのために彼はそれ相応の努力をしていて、自身の生活環境を整備し、時間が不規則になり、ストレスの溜まりやすい編集の仕事をやめ、給料は安いながらも、時間通りに帰ることができ、ストレスも溜まりにくい仕事に転職。
それを契機に今までつきあいのあった人たちとも距離を起き、スリップしやすくなるため、恋愛やセックスさえも遠ざけていました。
失恋すると酒に走りやすいのはもちろんのことながら、彼にとっては酒とセックスがパックになっていて、今までセックスはつねに酔ってやるものであり、「酒なしのセックスは童貞のため、どうやっていいのかわからない」とも言ってました。酒飲みにはそういう人って多いのかも。
T君を支えたのはAA(Alcoholics Anonymos)
彼は東京で数年間、酒をやめたあとで、田舎に戻ったのですけど、彼にとって大きかったのはAA(自助グループ)に馴染めたことかと思います。彼は「AAのミーティングに出るのが楽しい」と言っていて、仕事が終わるとミーティングに行ってました。
しかし、AAに馴染めない人もいます。実際にそういう知人がいて、彼は数回ミーティングに行っただけで挫折して、結局、死んじゃいました。
たまたま私はAAのミーティングに居合わせたことがあるのですが、酒を飲まない私にとって、正直、あれは辛いです。
新人さんが自分のアルコール依存がどういう状態であったのかを語っていたのですが、口出しをしたくなります。
「こんな自分を理解して欲しい」という思いが溢れていて、「理解できねえよ、アホか」と言いたくなる。言いませんでしたけどね。
アルコール依存症のことは、同じ病を抱えた人しか理解しにくいと思います。一般的に言えば、本当にだらしがなくて、自分勝手で、人を裏切る面倒な人ですから、叱りたくなるのです。しかし、叱ってどうにかなるものではない。
アルコール依存症の人を理解できるのはアルコール依存症の人ですから、AAに馴染めない人は居場所がない。
アルコール依存症は本当に厄介。それでも私は「酒をなくせ」とは言わない。
依存対象をなくしたところで解決はしない
昨年、アディクションに取り組んでいる団体の人と話をする機会があったのですが、ほとんど私と同じ考えでした。もちろん、こういった団体なり個人なりによって考え方はいろいろでしょうけど、たぶん彼の考え方がひとつの典型だろうと思います。
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