松沢呉一のビバノン・ライフ

アライにできること、アライだからできること—アライとサポーター 4(松沢呉一) -2,489文字-

その先にある社会のために—アライとサポーター 3」の続きです。

 

 

 

なぜ彼らは反レイシズムの運動に関わったのか

 

vivanon_sentence私と近いところにいる人たちは、ここまで私が書いてきたことをだいたい理解できようかと思います。

たとえばぷれいす東京の生島嗣代表や、現代美術家の張由紀夫君らは、反レイシズムの運動にも早くから関わっていて、新大久保の路上でプラカードを掲げていました。

彼らはその時に「ヘイトの対象になっているかわいそうな在日や外国人をサポートする」という意識で動いていなかったでしょう。

自身が同性愛者であるからLGBTの運動が身近ではあるし、HIVについての相談を受けるとなれば、同じセクシュアリティの方が理解しやすく、相手も信用しやすいという利点はあるにしても、彼らはその時でも、その先にある公平性、公正性のある社会を見据えているはずです。

だから、ほかのマイノリティのことも視野に入ってくる。自分たちの問題が解決されれば事足りるとは思っていない。

あるいはaktaの代表であるマダム・ボンジュール・ジャンジは「トランスジェンダーかも」と言っていたことがありますが、今のところ、女であり、性的対象は男。彼女がヘテロだからといって、支援者と思う人はいないと思います。アライという距離感でもないけれど、まして支援者ではありません。

 

 

アライがつながる場

 

vivanon_sentence個を超えた先の未来を共有できている人たちの間では、各自のセクシュアリティの差をさして感じないで語り合え、行動することができます。その先の未来は全然違うものを想定していたのだとしても、この関係もまたアライなのだと思います。

その関係を広く作ろうとして2013年に始まったのが「東京大行進」です。これは現在エストニアにいる酒癖の悪い木野トシキが言い出しっぺで、初回は私も関わり、それぞれ思惑は違っていたでしょうが、私としては、セクシュアリティが違っていても、性別が違っていても、国籍が違っていても、人種が違っていても、つながれる場を作ろうと思ってました。

「支援する人・される人」という上下の関係なしに、全員がアライになる場。アライなんて言葉を当時は使ってないですが、全員がアライになる場は作れます。目的を先に設定すればいいだけ。「個」の先にある「未来」を皆が見据えればいいだけ。

その実行委には張君もいました。

張君とは付き合いが長くて、当初はセックスワーク関連のことで一緒に何かをすることが多くて、普段はチンコだマンコだって話をしているのに、LGBT関連のことになると、途端に当事者と支援者の関係にされてしまうのは違和感があります。

実行委には生島さんも山縣さんもいました。

 

 

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