松沢呉一のビバノン・ライフ

お転婆はどう扱われたのか—女言葉の一世紀 25-(松沢呉一) -2,808文字-

唯一の婦人職業だった髪結い—女言葉の一世紀 24」の続きです。

 

 

お転婆はあばずれに近い

 

vivanon_sentence石角春洋は、前回出した引用文の前に、髪結いの特徴をこう説明しています。

 

女髪結が一般におてんばであって嚊ァ天下であることは争はれない事実である。まして今日のやうに社会が物質主義に傾ひて、各人が生活難を叫ぶ状態となっては、独立して生活の途を講ずる、女髪結の如きは夫に絶対服従をすることが出来なくなる、況んや職業が職業であるから、自然おてんばに導かれるのである、こんな状態(ありさま)で、大方の女髪結は堕落してしまう。

 

今現在、「お転婆」という言葉は女児が活発であることを意味することが多く、悪い意味はあまりないかと思います。あっても少し。

「うちの娘はお転婆だから」

元気があっていいですね」

てな感じでしょう。

この時の娘は、幼稚園児から小学生までがイメージされて、成人しているとは誰も思うまい。

しかし、古い本では大人の若い女までを対象とし、ネガティブな意味合いを含めて使われていることがあって、とくにこの本で「おてんば」と出てきたら、ほぼ大人、あるいは大人に近い未成年です。しかも、悪い意味であり、「あばずれ」に近い言葉と言っていい。

※図版は洋風お転婆娘絵葉書。洋画家の伊原宇三郎によるもの。デッサン力があるはずなのですが、首と体がバラバラなような。著作権がまだ切れてないですが、絵葉書になるくらいで、「お転婆娘」はカッコいい存在でもあり、スポーツはその象徴的アイコンだったことを見せるって意味の引用です。

 

 

おてんばは使った鼻紙ほどの価値もない

 

vivanon_sentence石角春洋著『穴さがし五分間応接』には「おてんばと五分間応接」という章もあります。これを読むと、著者が「おてんば」をどういう意味合いで使っているのかよくわかります。

 

 

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