松沢呉一のビバノン・ライフ

藤森成吉は悪者か?—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 3-(松沢呉一) -2,664文字-

印税の支払いを止められて追放へ—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 2」の続きです。

 

 

 

全員が口裏を合わせていた?

 

vivanon_sentence籍がどうあれ、通常、自分が妻であると言い、周りもそう認めていれば版元はそのまま支払うでしょうし、支払いの際に戸籍を確認することなど今も昔もないと思います。あるとすれば別の誰かが相続者であると主張した場合くらい。

事実、買い取りだった『女工哀史』以外の三冊の印税は高井としをに支払われています。改造社が「籍を入れていない」と気づいたのは、誰かしらがそれを伝えているわけです。ことによると、スキャンダルを暴いた記事にそこまで出ていたのか?(おそらくそれ以前から気づいていたと思いますが)

だとしても、生前は存在せず、個人の意思でもなかった団体に払っているわけで(遺志を継ぐという名目だったにしても)、だったら、事実婚が成立していた妻に支払ってもよかったじゃないですか。細井和喜蔵は身寄りがなく、支払う相手が不明ということで役所(今だと文化庁)に供託をするか、誰にも払わないかのどちらかの金ですから。

つまり、改造社が「お渡しできない」と言い出したのは、「お渡しできるが、お渡ししたくない」ってことだったことがわかります。法はその名目にすぎない。

片山哲も言っていることが同じくおかしい。本人が生前にその意思を明らかにしていたのでなければ、あるいは正当な継承者が作るのでなければ、第三者が勝手に遺志会を作って、著作権継承者にすることは法的にもできないでしょう。著作権継承者が遺志会に譲渡するしかない。

おそらく全員がグルになっていたのだと思います。ひどいですね。

でも、ここはよくよく考える必要があります。

 

 

藤森成吉について

 

vivanon_sentenceこのことを切り出したのは改造社の山本実彦社長ですが、遺志会を運営した中心人物は藤森成吉です。藤森成吉が遺志会の使途を説明しなかったことや、としをを遠ざけていたとしか思えない態度を知ると、あたかも藤森成吉が印税を横取りしたようにも思えます。

藤森成吉という人物について私はよく知らず、戦後版の『女工哀史』で初めてその名前を認識したのですが、大正期から戦後までそこそこ活躍をしていた小説家であり、国会図書館を検索すると、獏談生著『現代流行作家の逸話』(大正十一年)に、「原稿成金藤森成吉?」として取り上げられています。汚い格好をしながらも、小説で儲けて新しく二階を増築したという内容です。

これは『女工哀史』より前です。流行作家の一人としてカウントされるくらいには著名であり、家を増築するくらいには売れていたことがわかります。決して金に困っていたわけではありません。新築ではないので、たいしたことないとも言えますけど、ここではこんな本に取り上げられるくらいには知られていたってことを確認しておきます。

詐欺師みたいな人ではなくて、改造社や片山哲がこれに協力するくらいには信頼を得ていた人です。

その藤森成吉らがとしをに冷たくしたのは、それなりの理由がありました。彼らにとってとしをは、妻としての責務を果たさず、印税で遊びほうけていた人物でしかありませんでした。このことはただの放蕩というだけでは留まらない問題を含みます。

 

 

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