メトロポリタン美術館に続くのが賢明—著作権切れの著作物 下-(松沢呉一) -3,057文字-
「メトロポリタン美術館と日本の美術館—著作権切れの著作物 上」の続きです。
著作権の無理解が障害に
メトロポリタン美術館に続いて、各美術館が同様の取り組みを始めており、遠からず、これが標準になりそうです。しかし、日本の美術館はなかなか踏み切れない。
朝日の記事によると、けっこうな収入になっている美術館もあるようで、その金で人件費等を捻出していると簡単には手放せないでしょう。
また、実現したくてもデジタル化する予算がない美術館もあるようです。切実です。
踏み切れないのは金が理由だけではありません。美術館側には「どう使用されるのかわからないので、コントロールしたい」という思惑があることがこの記事から読み取れます。
この不安は、利用者が著作権を理解していないことに要因があります。
著作権が切れているんだから、どう使ってもいいと思っていたりするわけですが、人格権がありますから、切り刻んだり、人のもんに自分の名前を冠したりしてはいけません。
この記事では以下のように説明されています。
<パブリックドメイン(PD)> 著作権が切れ、作品の撮影や複製、画像のネット送信などが自由にできるようになった状態。日本語訳では「公有」。国内では、美術作品は作者の死後50年でPDになる。ただし、名誉を傷つけるような使い方や極端な改変などから作者の人格的な利益を守る権利は、事実上作者の孫世代まで存続する。
間違ってはいないのですが、これだと、曾孫の世代になると著作者人格権を無視していいみたいです。
人格権は残る
各国規定が違いますが、日本の著作権法では、孫までは著作者人格権の損害を請求する資格があります(第116条)。時代を経るに従い、そのことによる損害を受けることがなくなるのは当然であって、その先は訴える資格がない。この解説はそれを踏まえたものです。
しかし、孫世代がいなくなった画家による作品であっても、絵の中身を改竄してはならないし、できる範囲で著作者の名前を明示しなければならない。たとえば富岡鉄斎の絵を自分が描いたかのように見せかけて公開してはいけません。訴えられないとしても、社会的には批判されてしかるべきです。写真であろうと、文章であろうと同じです。
その辺を踏まえて、美術館が適切な利用に制限し、クレジットを入れさせるなどしたい気持ちもわからんではない。
しかし、現実には、コピーしている人はコピーしてましょうから、もはや美術館がコントロールできる状態ではない。
私自身、国会図書館の本から著作権切れの図版をコピーして「ビバノン」でよく使用しています。美術館やギャラリーから絵を借りてきたこともあります。それを封じようとしたって無理。こっちは正しく利用しているのですから。
インターネットによって手間がかからなくなったと同時に、インターネットの時代には用途や用法を制限しようがないってことです。
※André Kertész「Poughkeepsie, New York」
問い合わせる方も問い合わせる方
これまで美術館がそれをコントロールできてきたのはヴィジュアルだからです。
文字だったら、すでに出ている本を書き写せばいい。「青空文庫」がやっている通り。図書館や出版社がこれに文句をつけることはできない。
対してヴィジュアル作品の場合はデータが必要です。展覧会の図録に掲載されているものであれば複写してしまえばいいのですが、図録にはモノクロで掲載されていてカラーが必要とか、ポスターに使用したいので画質のいいデータが必要ということもあるでしょう。また、図録が制作されないもの、所蔵はしていても、展覧会に出展されないものもありましょう。
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