松沢呉一のビバノン・ライフ

南智子は初対面から特別だった—「私」を主語にできない問題[2]-(松沢呉一) -2,657文字-

『売る売ら』から『セクスタ』まで—「私」を主語にできない問題[1]」の続きです。

 

 

 

南智子の第一印象

 

vivanon_sentence自身の文章を読み返すきっかけになった南智子ですけど、「南智子」で検索して出てくる私の原稿はほとんどが彼女のことに軽く触れているだけです。軽く触れただけの文章でも、「ああ、そうだった、そうだった」と思い出したことがいくつかあります。

最初に会った時から私は南智子は信用できる人物であるとの印象を得てました。話の内容から理解したことでもあるのですが、些細な言葉からも私はそう理解しました。

以下は2万文字以上ある長い長い文章の一節です。この文章は2001年にネットで何回かに分けて公開したものです。どこの誰かもしれない人からの批判のメールに答えた内容です。

しょうもない内容で、よくある難癖みたいなもので、その中から一部を抜粋しただけで、そのメールの全文は出していなかったようです。出すとそのことでまた難癖をつけてくるかもしれない感触があったためかもしれない。

短いメールに、2万字以上返事を書くのはどうかしていますが、難癖つけてくるような人に理解してもらえるなんて期待があるのでなく、それ以外の人たちに向けてわかっておいて欲しいことを書いたものであり、私自身、そのメールを利用することで文章化し、考えをまとめておきたいと思ったのです。

 

 

「私は私」をよくわかっていた人

 

vivanon_sentence以下に転載している文章の前に当事者性についての話が延々続いています。「誰が当事者なのか」「誰が性労働者なのか」「誰が発言の資格があるか」「誰の発言が優先されるべきなのか」といったテーマです。相手がいなかったわけですけど、こういう議論を私はやりたかったのです。これ自体、今なお生き続けているテーマであり、循環させる意味がありそうですが、なにしろ長いので、ここではすっとばします。

それに続いて、『売る売らないはワタシが決める』を作った経緯や『ワタシが決めた』を作ることになった経緯を説明してます。前回書いたような内容です。

ちょうどこの時は前者が出版されて、後者を編集している時だったと思います。

この頃には「セックスワーカー」という言い方が日本でもなされていたにもかかわらず、「性労働者」という言葉を使っている事情については「売春・風俗・セックスワーク-[ビバノン循環湯 16]」を参照のこと。ここにも南智子は登場しています。

では、以下、転載文です。

 

 

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