スウェーデン議会の暴走—スウェーデンの法改正[5]-(松沢呉一)-3,381文字-
「「レイプ帝国」スウェーデンの事情—スウェーデンの法改正[4]」の続きです。
スウェーデン議会の「前科」
ここまで見てきたように、「積極的同意」のルール化は、大学のように狭い範囲に限定した時には効果を発する可能性がありますが、広い範囲でこのルールを実施すると、実行不可能の領域が大きく広がり、結果、自由な性行動を抑制し、規範内の性行動のみが「いいセックス」として推奨されていくことになる可能性が高いのです。具体的には夫婦間のセックスや結婚を前提としたセックスです。それ以外は「強姦」であり、「違法なセックス」「不適切なセックス」「淫らなセックス」と認識されていく。
なおかつ、多数の冤罪を作り出し、被害届が増大して、警察は対応ができず、人員の増強が必須となる。そうしない限り、これまで事件化されていた例までが事件化されにくくなりかねない。
当初私は、スウェーデンも米国の州法のように大学内の限定して法制化するものだと思っていたのですが、英文記事で見る限り、スウェーデンの法改正は無制限に社会全体に適用するもののようです。
そんないい加減な法律を作るだろうかとの疑問もありますが、スウェーデンはあり得ます。なにしろ買春処罰を導入した国です。なおかつ批判を無視し続け、それをさらに拡大しようとしている国です。
北欧諸国はラディカル・フェミニズムが強い。なぜそうなのかについては私も未だよくわからないのですが、スウェーデンと言えばエレン・ケイを生み出した国です。そのこととの関連を考えないではいられない。
※前回取り上げたワシントンポストの記事
エレン・ケイとラディカル・フェミニズム
好きでもないのに、「ビバノン」ではずいぶんエレン・ケイを取り上げてきました。戦前の婦人運動に触れるとどうしてもくっついてきてしまう。そのくらいに日本の婦人運動に影響を与えたわけですが、日本での扱われ方とオリジナルの主張との間には隔たりがあることは説明してきた通り。
とは言え、エレン・ケイ自身、性別による役割分担を前提としていて、この点は日本でのとらえ方通り。属性による役割を固定し、役割の中での選択権の拡充をしようとしたのです。子どもを産み、育てる役割を果たして初めて女は一人前という社会を目指しました。
北欧派と言われるフェミニズムが米国派とまったく違う内容の主張をしたのはもともと北欧諸国では男が強く、家族制度も強かったためだと言われます。戦前の本のどっかに出てました。そことの妥協点を見出した、もしくは自身がそこから抜けられなかったのがエレン・ケイの思想だったとすれば納得しやすい。
このことと属性によって関係を固定的に見るドウォーキンのようなおかしなラディカル・フェミニズムの考え方とはシンクロするところがあるのではないかとも思えています。なにしろドウォーキンは男女のセックスはすべてレイプだとした人です。この考え方は個と個の関係で見るのではなく、男女の属性ですべてを決定する発想です。人にはさまざまな属性があって、その関係性は多様なはずなのですが、そんなもんはすべてすっとばして、人と人との関係を、あるいは個人を性別でのみ決定するわけです。
その背景はともあれ、今回の改正案の強引さを見ていると、現に買春処罰を導入したスウェーデン議会がまたやらかしたかなとの感触があります。
※ストリートビューよりストックホルムのエレン・ケイ公園
買春処罰とのかねあい
「ガーディアン」の記事にもあったように、この法改正には、買春処罰を前提にしたケースがくっついてます。買春する意思があった上での強要は、なんであれレイプとして処罰されるってことのようです。
(残り 1944文字/全文: 3518文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ