松沢呉一のビバノン・ライフ

母性母性ってうるさいわ—勘で読んだ海老原嗣生著『女子のキャリア』(5)-(松沢呉一)-3,117文字-

母性保護と良妻賢母—勘で読んだ海老原嗣生著『女子のキャリア』(4)」の続きです。

 

 

 

改良型良妻賢母が日本の婦人運動の主流に

 

vivanon_sentence前回見た母性保護のもっとも完成された考え方からすると、育児は女の独占領域でなければならず、唯一女が男に勝てる出産、育児、家事を男に譲ると対等の関係が作れない。男は外で働くことが責務であって、「家のことに口出しをするな」ということになりましょう。さらに言うなら子どもがいない女は人としての役割を果たしていないってことにもなります。

女子のキャリア』の著者である海老原嗣生氏が、ここから現在の日本の壁が生じてしまったと見ているのは正しい。

エレン・ケイはその先に「離婚の自由」の獲得を掲げ、女の自己決定権拡張を求めました。夫に依存することなく、育児という女の責務を果たすためには国家の保護が必要であり、国家の保護がなされれば、未婚でもその責務を果たせます。恋愛するもしないも、結婚するもしないも、離婚するもしないも、女が決定すればいいという考え方が完結します。子どもを産まない選択まではエレン・ケイは容認できなかったかもしれないとして。

ところが、その部分は日本ではほとんど広がらず、エレン・ケイは改良版良妻賢母の思想的柱にされてしまった感があります。離婚の自由、結婚しない自由を無視してしまうと、一夫一婦制の堅持にしかならず、結果、宗教道徳とも容易に野合してしまう。これはまずい。

平塚らいてうはその前で留まりましたが、現にそうなってしまった婦人運動家たちがいたわけです。これが戦後の売防法制定につながっていきます。

これを「そういう時代だったのだからやむを得なかった」と擁護するのは無理があります。その時代でも現に論争になっていたのですし、与謝野晶子のように米国型女権運動に近い考えをする人たちもいて、米国ではその時点ですでに託児所の拡充により、女の社会進出を着々と実現していました。そちらを選択することもできたはずなのです。

あるいはエレン・ケイを移入するなら、正しく移入すればよかったのです。女の自己決定を拡充しようとしただけでなく、エレン・ケイは宗教が個人を犠牲にすることを否定し宗教、具体的にはキリスト教道徳の排斥を求める急進派だったのですから、婦人運動が宗教道徳と結託することを決してよしとしなかったでしょう。

これはエレン・ケイだけではありません。キリスト教国においてのフェミニズムはキリスト教道徳の批判なくしては成立しなかったと言っていい。なんでマリアは処女なんだよって話(現実にそういう批判がなされています)。

もちろん、ある局面では共闘は可能でしょうけど、中絶をめぐる対立を見れば明らかなように、両者が同じ線上に位置することは不可能です。矯風会をフェミニズムの歴史に位置づけるなんざ、その歴史を踏みにじるものでしかありません。何考えてんだ、糞フェミ。

※Frances Adams Halsted「She Does Not Ask For Contributions She Asks You to Invest Money at 4% in U.S. Government Bonds」  そうとはっきり書いてないですが、時期からして、おそらくこれも戦争債券。

 

 

金子恵美議員(当時)の公用車の不正使用を思い返そう

 

vivanon_sentenceそして、今現在もなおそこから逃れられない人々がいて、今はまして容赦する必要などない。

さすがにもうこの当時のままの考えを支持する人たちは少ないでしょうけど、「社会進出をしてもなお育児は女が分担すべし」という形での母性保護、良妻賢母の考え方は根強く残っています。いざという時にそれが浮上してきてしまう。

最近で言えば、この考え方が顕著に出たのが金子恵美議員(当時)による公用車の不正使用の件です。

「なぜ妻より時間があるはずで、政治家として育児休暇をとると宣言したこともあり、かつ夫婦の力関係から言っても夫がやっていいはずの託児所への送り迎えを、国民の信任を得て税金が投下されている妻がルールに反してまでやらなければならないのか」「充分に金を得ているにもかかわらず、なぜ送り迎えを個人秘書や雇い入れた運転手にやらせないのか」という、当たり前の疑問を提示せず、「政治家になっても女性議員は母であることが求められ、ルールより育児が優先される」という女の責務を強調する形での擁護をする人たちがああもいました。

母性保護主義あるいは良妻賢母主義を残したまま、女の社会進出を肯定し、女性議員を増やそうとするからこうなるんです。

金子恵美を擁護した人たちは「女は働くようになっても、それを夫に任せてはいけない。あるいは金を出して人に任せてもいけない。母親自身がやらなければならない」という考えを固定、拡散したわけです。

誰がそんな激務をやろうとしますかね。この人たちは「女は政治家にならない方がいい」という考え方さえ拡散しました。こんな考え方を平然と拡散しておいて、何が「日本は女性議員率が低過ぎる」だ。思い返すだけでも怒りがフツフツと湧いてきます。

私が共感するタイプのフェミニストであれば、これに猛烈に反発してよさそうですが、そういう動きはまったく見られませんでした(私が知る限り)。エロライターの私がああも反発していたのに。

むしろ、この主張に乗ったのは女たちの方が多かったのではないか。女の新聞記者までが良妻賢母を維持しようと躍起になってました。そういう社会なんです。まずそこを自覚すべし。

 

 

母性母性ってうるさいわ

 

vivanon_sentence秋山理央が撮ったこの動画には感激しました(音楽の関係でここでは観られない場合があるようなので、その時はYouTubeに飛んでください)。

 

 

 

レッド・アンブレラを掲げての参加です。画期的です。事前にはまったく聞いていなかったので驚きました。

 

 

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