松沢呉一のビバノン・ライフ

文脈を利用するミロ・モアレ—裸の文脈(5)-(松沢呉一)-2,736文字-

性器の文脈・ディルドの文脈—裸の文脈(4)」の続きです。

 

 

 

文脈から逃れられない

 

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多くの人は頭の中にすでにある「文脈」に沿って発想をしてしまうことから逃れられないのだと思います。

私もそうです。「これはすごいな」と思いながら、ディルドのプロテストに対して、なにやらひっかかりがあって、その意味を2分ほど考える時間が必要だったわけで、人によっては時間は必要がないかもしれない。しかし、人によっては10分かもしれないし、1時間かもしれない。

時にはそこに行きつけず、あれをただ不快なものとしてとらえるかもしれない。本当は共感すべきものなのかもしれないのに。

ここまで書いてきたように、「ディルドの文脈」というものがあるわけですが、既存のそれらの文脈でさえも理解しておらず、受け入れられない人たちは、いくら考えてもディルド・プロテストの落ち着きどころを見出せないでしょう。

あるいは人によっては、これまでとは違う自分の中にある文脈にこれを当てはめることで落ち着くかもしれない。この場合、どういう文脈があるのかわかんないですけど。

ユリカモメさんは、あの動画をSNSでシェアしていませんでした。どうしてか聞いてみたのですが、周りの人たちにはまず理解されないだろうとのことでした。

彼女がそう思い込んでいるだけかもしれないですが、彼女の友だちである大学生に何人か会った印象で言っても、たしかにあれは理解しにくいと私も思います。理解するのがいたとしても、それを表明はしないでしょう。その彼女もまた「周りに理解されない」と思うから。ダイレクトメッセージを送ってくるだけ。

まして積極的に共感したり、面白がるのは期待できそうにありません。おそらく彼女らには、これまでの人生において容認できるディルドの文脈なんてものが作れてないのだろうと思います。

「女王様のペニバンはいいなあ。いつかペニバンのウェイトレスがいるペニバン喫茶を開きたい」なんて言っている私は完全に彼女らの理解の外側にいます。その中でユリカモメさんは特殊です。

これは不幸です。ユリカモメさんと同世代であろう女子学生らがテキサスの大学ではおおっぴらにやっていて支持を集めているディルド・プロテストの面白味を共有できるのが、ユリカモメさんの周りには年齢が倍以上離れたおっさんしかいない。私だけではないでしょうが、たいていディルドの文脈を持っているおっさんでしょう。

この不幸がなぜこの国では成立してしまっているのか。ディルドの文脈ではなく、母性の文脈、道徳の文脈が支配している国だからです。

 

 

母性の文脈

 

vivanon_sentenceキッシングブースでおっぱいを出していても、キッシングブースの伝統がある文化圏では、キッシングブースの文字やフレームがあればその文脈はすぐに理解できます。

その伝統的文脈がなくても、明らかに募金という形をとっていて、趣旨も明記されていたにもかかわらず、その程度の文脈さえ理解できない人たちが「おっぱい募金」に反対したわけです。テキストを読み込む能力が欠落した人々。

その文脈が都合が悪いことまでは理解できていたため、あの署名の呼びかけでは、あたかも募金自体に疑惑があるようなことまで捏造しました。本当に悪質な人たちです。事実なんてどうでもいいわけです。

 

 

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