松沢呉一のビバノン・ライフ

上品メディアは両論併記を無効化する—ネトウヨ春(夏)のBAN祭り[4]-(松沢呉一)-3,329文字-

子猫の暴動ではなくマンコの暴動—ネトウヨ春(夏)のBAN祭り[3]」の続きです。

 

 

 

両論併記自体が悪いのではない

 

vivanon_sentence前回取り上げたデジタル朝日の記事を批判した人たちは両論併記を批判していることが多く、両論併記自体が悪いわけではないことは繰り返し強調しておく必要があります。事件報道では、容疑者が容疑を認めているか否認しているのかを警察は発表し、報道もされます。あれも両論併記のひとつです。ムチャクチャ大事じゃないですか。警察の言い分だけを出してはまずいでしょ。

だからと言って、つねにそうしなければならないなんてことはなくて、一方で、不要な両論併記があるのもまた事実。具体的個人を取り上げる場合は名誉毀損で訴えられないように相手の意見を聞いておくのが通例で、それが癖になっているため、不要に両論併記になってしまう傾向があるのでしょうし、肩書きのある有識者にまとめのコメントをもらうのも定番ですが、例の記事では事実を淡々と書けばよかったとは思います。

「なくてもいい」という意味では、祭り参加者のコメントもなくてよくて、どっちのコメントもすべてカットして、それよりも「BAN祭り」については、公開されているYouTubeの基準をそのまま出し、ヘイトスピーチ対策法におけるヘイトスピーチの定義も出して、この動きはそのふたつの基準に則っていることを説明する方が意味があったかと思います。国の法律とYouTubeのルールに則って報告をして、YouTubeの運営に判断を委ねていることがくっきりします。

あるいはここで新聞社の苦手なリンクを駆使して、読者がそれをできるようにすればいい。5ちゃんのテンプレ(右のSS)を参考にすればいいんです。

「裸祭り」については、ネットの広告がどういう流れで出されているのかの仕組みをより正確に伝えた方がよかったんじゃなかろうか。私自身、その仕組みをよくわかっておらず、わかっていた方がより効果的な方法も出てくるかもしれない。

といった部分では不満があるにしても、一般にはこの動きはさほど知られていない中で、記事が出ることの方が意義があるのですから、原則私はあの記事を支持。「両論併記をするな」なんて批判をして記者を敵視し、後続の記事を抑制してしまうようなことはしない方がいいと思うなあ。「自分が気に入ることだけ出せ」と言っているようにしか見えませんでした。

 

 

竹田恒泰のコメントすこ

 

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あの記事で、私も竹田恒泰のコメントはいらんとは思いますけど、あってもいいんじゃね?

 

 一方、削除された側からは反発も。作家の竹田恒泰氏は5月下旬、動画が次々に削除されアカウントが停止された。運営者からは、動画がガイドラインに違反したと判断したという通知と共に、「差別的な発言は許可されません」という内容のメールが届いたという。取材に対し、「私はテレビの生放送番組にも出演しており、ヘイトとされるような言論はしない。ユーチューブ側はきちんとチェックしているのだろうか」とし、「通報している人は、気に入らない言論を封殺するつもりならばお門違い。堂々と議論をすべきだ」と主張した。

 

私はテレビの生放送番組にも出演しており、ヘイトとされるような言論はしない」というコメントは好きです。なんの意味もないコメントしかできない人ということがわかって。これをわざわざ入れた記者の判断はナイス。

この記事内では無理にしても、続報として、竹田恒泰の動画の具体例を挙げて、どこがヘイトスピーチであり、どこがYouTubeのルール違反と判断されたのかを検証するのが理想です。

しかし、ここでは竹田恒泰という名前があって、この記事を読んだ人はその著書にもアプローチできて、ネットでその主張を確認できるのに、5ちゃんねるは「匿名掲示板サイト」です。わかる人にはわかるとしても、わからん人はここにどうアプローチしていいのかもわからない。

公平性を求めるのであれば、「匿名掲示板」という表現にすべきではない。「ネトウヨ春(夏)のBAN祭り」も「5ちゃんねる」も「ハンJ民」も出せないのであれば、竹田恒泰も「自称作家のTさん」にすればいいんです。条件を同じにしないと効果が違ってきてしまう。

「どちらの意見も出すことで、あとは読んだ人が判断すればいい」という両論併記の考え方はよしとして、「品のないものは名前も出さない」「リンクを活用しない」という新聞社の悪しき方針によって、公平さのない記事になってしまうことに対してはもう少し自覚的でいて欲しい。つうか、有名無名を問わず名前を出せばいいし、下品でおばかでも名前を出せばいい。リンクも活用すればいいってだけです。

※写真は祭り(笑)

 

 

BAN祭りと裸祭りの違い

 

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もうひとつ、記事の最後に出ている山口貴士弁護士のコメントについても批判している人たちがいましたが、この指摘を理解できないからこそ、この指摘は意味があるんです。

 

 

一方、表現規制に詳しい山口貴士弁護士は、今回の動画通報の盛り上がりについて、「特定の少数の人の権利が侵害される場合は対応が必要だが、『傷つく人がいるから』という理由だけで表現そのものの規制を求めていくと、他の表現にも規制が広がってしまう可能性がある。その副作用についても、考えるべきではないか」と指摘する。

 

 

短いコメントなので、十分に意図が伝わりにくいかとは思いますが、私も「BAN祭り」「裸祭り」を支持しつつ、とりわけ後者については当初からFacebookで危惧している点があることを書いてました。しかも、この危惧はすでに少しずつ現実のものになってきています。この危惧に無自覚な人たちがいるためです。

ハンJ民でもこのコメントを批判している人はいたのですが、ここで留まっていない。

たとえばこの流れ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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