エスキモーとイヌイット—心の内務省を抑えろ[5]-(松沢呉一)-2,727文字-
「ジプシーとロマ—心の内務省を抑えろ[4]」の続きです。
このシリーズは「ネトウヨ春(夏)のBAN祭り」からスピンアウトしたものなので、図版がない時は祭りの写真を使っています。
エスキモーの場合
Wikipediaにあるようにロマへの言い換えは「差別の隠蔽にとどまり必ずしも差別の解消とは繋がっていない」。むしろ、混乱が生じ、当事者である人々の中には尊厳を損なわれたと感じる人たちもいるでしょう。
「ジプシー」と同じようなことは「エスキモー」でも起きています。
以下はWikipediaより
「イヌイット」呼称の問題
カナダでは1970年代ごろから「エスキモー」を差別用語と位置付け、彼ら自身の言葉で「人々」を意味する「イヌイット」が代わりに使用されている。現在では「イヌイット」という呼称は、本来「人々」を意味する言葉ではなかったとされている。先住民運動の高まりの中で、これまで他者から「エスキモー」と呼ばれてきた集団が自らを指す呼称が必要となり、「イヌイット」という言葉を採用したためである。
「イヌイット」は、本来北方民族のうち最大数を占めているカナダのバフィン島やグリーンランド方面に住む集団(東部集団)についての呼称である。イヌイット以外の集団への呼称について、正確を期す場合には、アラスカエスキモーは「イヌピアト」(Inupiat)、シベリアやセントローレンス島に住む集団は「ユピク」(Yupik) と呼ぶ。このため、北方民族の総称としての「エスキモー」を単純に「イヌイット」に置き換えると、置き換えの結果としての「イヌイット」なのか、原意の「イヌイット」なのか区別できなくなる。
またそれ以前に、シベリアやアラスカのイヌピアト(アラスカエスキモー)やユピクを、別の語族集団の呼称である「イヌイット」の名で呼ぶことは明らかな間違いである。合衆国の団体「Expansionist Party of the United States」は、その公式サイトで、「エスキモー」の呼称について、「アラスカとシベリアで唯一の正しい用語である」としており、「エスキモーはその名をまったく恥じていない。エスキモーでない者たちは、犯罪を意図するわけでもないのなら、いたずらに非英語の婉曲表現で彼らを威嚇すべきではない」としている。
第三者の勝手な配慮による言い換えが混乱を招いた例です。「エスキモー」という言葉は差別的だから使ってはならないという主張は時にその言葉が指す対象を貶めます。「私は〜」を言えない存在になる。
こういった経緯をすべて理解した上で、書き替えを命じる編集者はほとんどいない。「パンパン」だって同様。ただ、「使ってはいけない」と言い換え集に出ているから使わせないだけ。使った場合に、「差別用語だ」と騒ぐ人たちも同様。自身の判断なんてなく、ただ「当事者がぁ〜」ってだけ。しかも、その当事者は仮想の当事者であったりします。
たとえばユダヤ人だって、Jewという言葉で蔑視されたり、迫害された歴史があるわけで、それに対して言い換えて欲しいと言い出す当事者がいたところで内部から反対が出てくるでしょう。対してエスキモーは反対するほどの力もなかったために、「イヌイット」のみが正しい呼称であるかのように広がってしまいました。
「ジプシー」の場合は当事者団体による「ロマの言い方」の提議があったわけですけど、そこからはじかれる当事者たち、ロマという別民族の名前で呼ばれてしまう当事者たちがいました。当事者はさまざまなのであって、その多様性を認めるなら、ある当事者が当事者だと名乗りを上げたところで、それがすべてを代表する意見なのかどうか、つねに問われるべきです。
たったの一人でも当事者
こういった混乱は、しばしば「当事者がどう考えているのか」ではなく、第三者が勝手に「当事者はこう考えている」と言い出したり、「当事者が聞いたらどう思うか」と言い出すことによって生じます。弱者憑依というヤツです。当事者の威を借るクズであります。
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