松沢呉一のビバノン・ライフ

東郷健は嫌われ者だった—心の内務省を抑えろ[12](松沢呉一)-2,095文字-


なぜ「週刊金曜日」だったのか—心の内務省を抑えろ[11]」の続きです。

 

 

 

大半の同性愛者は東郷健を嫌悪していた

 

vivanon_sentenceもうひとつ、「オカマ論争」において厄介なのは、東郷健という人の位置づけです。

言いにくいことではありますが、私の知る範囲での同性愛者の圧倒的多数は東郷健を嫌ってました。世間一般にも嫌われ者であり、あえてそれを演じていたところもあったでしょうけど、男性同性愛者の間では「名前を聞くだけで鳥肌が立つ」「選挙期間は憂鬱になる」といくらいに嫌う人たちが多かったのです。亡くなった今だって「触れたくない」「存在を直視できない」という人は多いでしょう。

そもそも東郷健は「ゲイ」です。ゲイボーイを嫌って「ホモ」を自称した人たちにとっては嫌悪の対象です。「ああいう人たちと自分らは違う」って主張が「ホモ」でしたから。

その上、目立つ。目立つ存在は嫌われるのが世の常ですが、マイノリティの場合は目立つ存在がその集団を代表して見られることになる分、反発は強まります。

選挙にも出て、選挙カーから、そして政見放送でお茶の間のテレビから天皇制批判をやり、「オカマ」「パンパン」「クロンボ」といった放送禁止用語や差別用語とされる言葉を連発し、マスコミを「マスゴミ」と呼び、泡沫振りをお茶の間にばらまく。

「ホモ」の世代は、「ああは見られたくない」と思われるのは当然だったでしょうし、「ゲイ」の世代になっても、「ゲイと名乗らないで欲しい」と思う人たちがいたのもまた当然だったかと思います。

とくに思春期に東郷健の存在を知った人たちは、自身の存在を否定されたような感覚になったと言います。「どうも自分は他の人たちと違う、自分は男が好きである」と気づき出した時に、同性愛者として東郷健の存在をつきつけられて、「自分もああなるのかもしれない」と恐怖し、同性愛者としての自分を受け入れられなくなる。同性愛者への嫌悪と自身への嫌悪を東郷健によって植えつけられてしまうのです。

 

 

東郷健を支持していた層

 

vivanon_sentence東郷健が同性愛者たちに敬遠されていたのは他にも理由があって、東郷健は自分と関係のあった人たちについて、著書でアウティングをしていました。今なお私が記憶している人物もいます。あくまで著名な人、社会的地位の高い人に限ってのことで、肯定的アウティングの先駆と言えるかもしれないですけど、やられた方はたまったものではない。

そのため、東郷健を表立って支持していたのは反体制・反権力を標榜する文化人やアンダーグラウンド・カルチャーの人たちです。ヘテロなのです。どういう人たちと交流があったのかは『東郷健の突撃対談』を読むとわかります。

以下は寺山修司率いる天井桟敷がリリースした東郷健のレコード。

 

 

 

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