松沢呉一のビバノン・ライフ

連合赤軍と八鹿高校と新右翼—リンチの歴史[6]-(松沢呉一)-4,940文字-

「肉体の門」と不良団による電気リンチ—リンチの歴史[5]」の続きです。

 

 

 

連合赤軍の山岳ベース事件

 

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肉体の門』以降、とくにこの言葉に強い印象を残したのは連合赤軍の「山岳ベース事件」でしょう。

以下はWikipediaの連合赤軍の項より。

 

 

山岳ベース事件は、あさま山荘事件などで逮捕された者らの自供により明らかになった大量殺人事件である。これは、警察の捜査網から逃れるため山中に山岳ベースと呼ばれる山小屋を建設して潜伏中に、「総括」と称して連合赤軍内部で粛清が行われたもので、集団リンチを加えて12名を殺害した。

 

 

ここでも「集団リンチ」としてあるように、ただの「リンチ」では集団であることにはならないことを前提にしているのだろうと思われます。しかし、現実にはそれこそを日本では「リンチ」としている傾向があります。「行為者が集団であること」ってことです。

一方で、小説ではあれ、前回見た今きたこの道』では行為者は単独であり、「集団の意思を背景にしてなされる」、または「集団の利益保護を目的にしてなされる」というのがこの場合のリンチの条件になろうかと思います。

連合赤軍の一連の事件は、1971年から72年にかけてであり、当時私は中学生です。中学生にとっては、こっちよりテレビで生中継されるあさま山荘事件の方が強烈に印象に残っています。

山岳ベース事件について正しく認識したのは大学に入ってからだったと思いますが、山岳ベース事件という言い方自体、はっきりとした記憶はなく、「連合赤軍のリンチ」と認識していて、「リンチ」や「総括」という言葉はおそらくこの事件で知って、中学生でも知っている、さらに使う言葉になっていたように思います。

大人にとっては、すでに理解されていたリンチという言葉ですが、連合赤軍のリンチは「リンチに新たな1ページを開いた」くらいの衝撃があったはずです。とくに左翼にとっては。

中核対革マルの対立の中で、集団が個人に暴行して殺すようなことがあっても、あまりリンチとは言われませんでした。これは内ゲバです。中核と革マルは出元はともあれ、その段階では別組織であり、セクト対セクトの場合は内ゲバ。より内的なものをリンチと呼ぶニュアンスですが、おそらく内ゲバの中でもリンチと呼称されるようなケースもあったろうと思います。総称としては内ゲバ、個別の行為としてはリンチ。

と同時に、共産党リンチ事件から連合赤軍への流れの中で、処罰、制裁という私刑の側面よりも、査問や総括といった政治的側面がリンチという言葉にはつきまとうようになったような気もします。一方で、スケバンのリンチ、暴走族のリンチなど不良系リンチも続いてましたから、処罰か査問かなんてことはどうでもよくなっていったとすべきか。

 

 

八鹿高校事件

 

vivanon_sentenceこのシリーズを書いていて、もしかすると、八鹿高校事件でもリンチという言葉が使用されていたのではないかと思って検索してみたら、やはり使用されていました。

Wikipediaの「八鹿高校事件」の項にはたびたびリンチという言葉が使用されています。

以下はYouTubeで見つけたドキュメンタリー。初めて観ましたけど、この中でもリンチという言葉が使用されています。

 

 

 

これは教師側に立つ内容になっていますので、その点、差し引くべきでしょうけど、教師たちを軟禁状態にして暴行を加えた結果、「教師48名負傷、内29名重傷、1名危篤となった事件」であり、部落解放同盟側の13名が有罪判決を受けていることは揺るがない事実。

 

 

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