松沢呉一のビバノン・ライフ

『我が闘争』を読んだ人はほとんどいなかった!—『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』より[5]-(松沢呉一)

障害者を抹殺するT4作戦に反対した人たち—『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』より[4]」の続きです。

 

 

 

ドイツ人は『我が闘争』を読んでいなかった!?

 

vivanon_sentence「もし私がその時代にドイツ人だったら」と考えると、高い率で強制収容所に送られ、高い率で死ぬことがわかっている時に、異議を申し立てたり、強制収容所に送られる人を匿ったり、決め手になる人物を暗殺したりできる自信はありません。誰もこれは責められない。

しかし、と思うのです。抵抗できた時期があったのに、どうして抵抗しなかったのか。どうしてナチスを支持してしまったのかという疑問に再度立ち返ります。

ここまで繰り返してきたように、私が『我が闘争』を読んで愕然としたのは、寄生虫、病原菌たるユダヤ人をヨーロッパから消すこと、ドイツは生存のために植民地を得る権利があり、それを東方に求めていること、ドイツを民主的に独裁制にすることなどがすでに書かれていたことです。

ユダヤ人をヨーロッパから消すという表現は文章における比喩であるかもしれず、あるいはマダガスカル移住計画のような強制移住を指すのかもしれず、実際に行われたホロコーストとの間には飛躍があって、結果を知っている我々と違って、当時のドイツ人があれを読んですぐさまホロコーストを連想できるものではないですが、ユダヤ人を公的な場から追い出し、店やシナゴーグを焼き討ちにし、ユダヤ人を殺して、さらにどこかにユダヤ人たちを連行していく事態を迎えた時には想像できるでしょう。

それでもなお国民のほとんどは沈黙していたわけです。「みんなわかっていて容認した」と思うしかない。それを責められるかどうかは置くとして。

強制的に買わせたため、どの家庭にもあるくらいに普及し、ドイツ国内だけで1千万部を超えたと言われる『我が闘争』で宣言されているのに、戦後になって「知らなかった」「騙された」はないでしょう。「知っていたけど、何もできなかった」ならいざ知らず。

グイド・クノップ著『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』では、このことを「約束を果たした」と表現しています。事前に宣言してなお国民は支持したのですから、ヒトラーは約束を果たさなければならない。

しかし、これについては驚くべきことが書かれてました。

ヒトラーの独裁政権が成立した時に、社会民主党、中央党など、ヴァイマル共和政を担った政党、保守系政党、軍部、労働組合などなどのうちのどこかが反対していたなら、あんなことにはならなかった、つまりどこも反対をしようとせずに容認し、協力さえしてしまったとの事実を列挙したあと、こう書いてます。

 

 

ほとんど誰一人として、ヒトラーの著書を読まなかった。そこにすべてが書いてあったというのに。当時それを真剣に読んだというドイツ人をわたしたちは一人も知らない。

 

 

エーッ、極東の島国に住む劣等民族の私は老眼にもかかわらず真剣に読んだのに。そんなに真剣でもないけど。

無理矢理買わされた本なんて読まない人が多いことは想像できますし、今まで私が読んだ本にも、当時のドイツでは『我が闘争』を読まなかった人が多かったことは書かれてましたが、「読まれなかった」という程度がここまでだったとは絶句しないではいられない。中には読んでヒトラーを信奉してしまったのが恥ずかしくて、戦後は「読んだことがない」と言っているのもいるだろうし、そこに触れないようにしているのもいると思うのですが、大多数の人が読んでいなかったのは事実っぽい。

Vom schwierigen Umgang der Deutschen mit Hitlers “Mein Kampf” 1939年、ベルリンの街頭広告。このリンク先の記事でも、『我が闘争』はほとんど読まれなかったと書かれています。

 

 

家に何冊もあったのに誰も読んでいなかった

 

vivanon_sentence本書にはナチスの時代を体験した人たちの言葉が多数出ていて、その中には、著者のこの言葉を裏づけるようなことを言っている人もいます。

 

 

ヒトラーはずいぶん持ち上げられていました。彼という人間が理想化されていたのです。だからこそ、いまだに多くの人がこんなことを言っています。「総統が御存知だったならば、…きっと同意なさらなかったはずだ」。たいていの人が本当にそう信じていました。これらの悪質な犯罪がヒトラーによるものだとはまったく考えられていませんでした。あの頃『わが闘争』を読むべきでした。何もかもそこに書いてあったのです。どの家にもこの本が何冊かそなえてありました。わが家だけでも3冊ありました。わたしが大学入学資格の祝いに1冊、父が会社の創立記念日に1冊、姉が結婚祝いに1冊贈られたからです。けれども、誰も『わが闘争』を読みませんでした。それが悲劇の元だったのです。

———ハンス・フリューヴィルト。1918年生まれ

 

 

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