松沢呉一のビバノン・ライフ

無知・無関心が自身を死の淵に追いやった—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[5]-(松沢呉一)

知らないことには責任がないという論理—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[4]」の続きです。

 

 

 

何も考えていなかったことが彼女を追い込んだ

 

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敗戦に至るまでの彼女の行動は、ゲッペルスのようにヒトラーとともに死ぬことを覚悟している人のそれか、ここに至ってもなお無知でい続けた人のそれか、どちらかであり、本人の言い分を信じれば後者だったようです。

これについてのブルンヒルデ・ポムゼルの語りは、話が前後していて、かつ日付の記載が少ないため、ちょっとわかりにくいので、補足を入れながら整理してみます。

ソ連軍が迫り、ベルリンで市街戦が始まったのは1945年4月23日。その直前、おそらく4月20日、コラッツ博士というゲッベルスの担当官だった人物から声がかかり、彼の運転するバイクで、ポムゼルは家族のいるポツダムに向います。一般の国民はガソリンが手に入らず、これは特権です。ベルリンとポツダムは26キロしか離れていないので、バイクで30分もあれば着きます。東京と横浜、大阪と神戸の距離。

ポムゼルと別れたあと、コラッツ博士は妻と子どもを殺して自分も死にます。ソ連軍から逃れて家族と死ぬためにポツダムに向ったのです。ゲッベルスと言い、この人と言い、子どもを道連れ。一家心中は日本特有とされることがありますが、そんなことはなさそうです。ドイツ人も子どもを個人として見ず、親の所有物として見る傾向が強いのでありましょうか。

ポムゼルはあとになってこれを知っていて、その晩、ベルリンに戻るたるめに迎えにくるはずのコラップ博士が迎えに来ない。ポムゼル博士は彼女がそのまま逃げることを前提にしていて、まさか戻る気があるとは思っていなかったのでしょう。ポムゼルはまだ事態を理解できていないのです。

ここで彼女は「「この戦争には、もう勝てない」と人々が悟ったのが、ちょうどあの時期だった」と言っています。主語は「人々」になっていて、全体を通して、しばしば彼女は「私」ではなく、もっと大きい主語を使いたがります。先に出てきた「罪はない」「責任はない」という言葉もだいたい「私たち」になっています。「私」とすべきところで「私たち」と言ってしまう人。こういう人がナチスを支えたのはわかりやすく、「私」を持たない人の集積が全体主義です。

一方で、ヒトラーが自殺するまで逆転を信じていた自分を指して、「私たちのような人間はそう多くはなくなっていた」とも言っています。ここでも「私たち」ですが、もっとも鈍感な人間の一人だったとの自覚くらいはあったようです。

いずれにせよ、ここで負けると悟ったのであれば宣伝省に戻る必要もない。

ラジオではギリギリのところまでゲッペルス自身が徹底抗戦を呼びかけていましたが、戦況が悪化し、もはや勝ち目がないと悟ったナチス幹部らは続々ベルリンから脱出します。国民には徹底抗戦を呼びかけながら、つまりは「死ぬまで闘え」と言っておきながら、自分らは逃亡ですよ。なんちゅう卑怯者たち。そういえば吉岡彌生もあれだけ女たちに闘うことを呼びかけておきながら、空襲が始まると、自分はさっさと疎開しました。こんなところまでナチス方式。そういう意味では最後までヒトラーと行動をともにしたゲッベルスは偉いかもしれない。

しかし、ブルンヒルデ・ポムゼルは家で一晩過ごすと、母親が止めるのも振り切って、仕事があるからとベルリンに戻ります。逃げた幹部たちではなく、ゲッベルスらと同じ行動をとったのです。

Wikipediaより宣伝省の建物

 

 

敗戦間際の不可解とも言えるポムゼルの動き

 

vivanon_sentence4月21日、彼女は初めて宣伝省の地下壕に入り、ここから10日か11日の間、彼女はここで過ごすことになります。このすぐ隣に、総統地下壕があって、そこにヒトラーとエーファ(エヴァ)・ブラウン、ゲッペルスとその家族らがいました。彼女は総統地下壕をこの時初めて知ったようです。場所がわかると空爆されますし、国内の反対派からも狙われますから、末端の秘書には知らされておらず、彼女も知ろうとはしていなかったわけです(ホントかなあ?)。

地下深くに掘られていたため、爆弾が落ちても安全であり、十分ではないにせよ食糧もあって、酒も用意されていた地下壕にいたポムゼルは知らなかったわけですが、このすぐあとの4月23日にソ連軍がベルリン市内に侵攻し、ドイツ兵たちはソ連兵に続々殺されていきます。一方でドイツ兵は白旗を挙げるドイツ国民を射殺。ソ連兵も民間人を容赦なく射殺。

ソ連軍が制覇した地域では、殺戮と強姦と略奪です。宣伝省が機能していた頃、ゲッベルスはソ連兵にドイツ女性らが強姦されていると喧伝し、ポムゼルはその数字の水増しをやっていたことを自身で書いています。ソ連兵たちが殺戮、強姦、略奪をやりたい放題やっていたのは事実でした。ろくに訓練も教育も受けていないような粗製軍だったため、規律なんてものを求めるべくもなかったようです。質の悪さは数でカバー。

 

 

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