松沢呉一のビバノン・ライフ

人を人で見るか、人をフレームで見るか—ホステス体質・風俗嬢体質[下]-[ビバノン循環湯 532] (松沢呉一)

ホステスの定番人気と例外人気—ホステス体質・風俗嬢体質[中]」の続きです。

 

 

 

金が人間関係を規定する

 

vivanon_sentenceさて、ここまではまだしもよく聞く話の範囲である。彼女の話でもっとも感心したのは、風俗と水商売の客の違いについてだ。

「一般にクラブのお客さんの方が長いですよね。風俗のお客さんは一回だけという人も多いですから。ただ、面白いのは、お店を辞めてからは、クラブのお客さんとは一切つきあいがなくなりました。でも、ホテトル時代のお客さんとは、今もつきあいがあります」

彼女がホテトルで働いていたは十年以上前のことだ。なのにつきあいが続いているのに対して、たった一年ほど前までやっていたクラブの客とはひとりとしてつきあいがないというのである。どういうこと?

「クラブのお客さんとはどこまでもお金でくっついている。その関係が切れると、こっちから連絡することはないし、あっちも連絡をしてこない。でも、風俗のお客さんは、お客さんの段階から友だちみたいな感覚になって、別のホテトルに移ると、“そこはいいコいる?”って聞いてきて、“友だちがどこどこで働いているから、遊びに行ってあげてよ”ってこっちも損得抜きで教えてあげられる。今もその関係が続いていて、ごはんを食べたり、電話で話したりする人がいます。でも、水商売時代は、自分の客は自分の客。よっぽどの親友だったら“あのコについてあげて”って言ったかもしれないけど、お客さんも失礼だと思って、そんなことは聞いてこなかったですよね」

私自身、すぐにダチ感覚になるから風俗嬢と客の関係に関してはよくわかる。風俗嬢と店の外で会う時は、すでに風俗嬢と客の関係ではなくなっている。私の場合は、こうなると、性欲の対象でさえなくなってしまうことが多いのだが、仮にセックスするとしたら、金銭を媒介にせず、互いの恋愛感情か、互いの性欲か、単なる成り行きである。

しかし、店長自身、ホステス時代は、金をもらって店の外で定期的に会ってセックスをする客が常に何人かいて、どこまでも金なんである。

そこまではわかるのだが、ホステスじゃなくなった途端に、クラブの客がそうも簡単に切れてしまうことがわからない。計算尽くでつきあっているため、クラブホステスである限りは、相手に心を許せないのは理解できるが、金の関係が切れれば友だち関係になっていいではないが。

「そうはならないんですよ。相手も、お金が使えなくなると、自分のプライドが傷つくんです。この女は自分が食べさせてやっているというプライドでつきあえていたのに、お金がいらない対等の関係だと、どうやってつきあえばいいのかわからなくなるし、お金を出せないと、自分が下に落ちたような気がするんでしょうね」

今はそんなことはあまり言わないだろうが、「男と女に友情はない」なんて言いたがる男たちも、実のところ、男と女はランクが違うというプライドのためにそう言っているのかもしれないなんて思ったりもする。

Zig Josephine Baker La Grande Revue

 

 

人と人のつきあいは導入で決定する

 

vivanon_sentence私は彼女にこう聞いた。

「それって、もともとの人が違うのかな。それとも、同じ人でも、どこで遊ぶかによって、違ってしまうのかな」

高級クラブに通い、なおかつピンサロにも行く人はまずいないだろうが、高級クラブに通い、なおかつヘルスに行く人は、少数ながらいる。高級ソープに行く客はもっといる。こういう人は、やっぱり風俗に行っても風俗嬢とダチにはなれないのか、それとも風俗であればダチになれるのか、って質問である。私自身、クラブの客についてはあまりに遠い存在で、どっちなのか想像がつかなかったのだ。

 

next_vivanon

(残り 2522文字/全文: 4072文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ