松沢呉一のビバノン・ライフ

東部総合計画とレーベンスボルンの悪夢—ナチスと婦人運動[6]-(松沢呉一)

吉岡彌生の同志的存在ゲルトルート・ショルツ=クリンクの登場—ナチスと婦人運動[5]」の続きです。

 

 

 

ゲルトルート・ショルツ=クリンクと吉岡彌生の共通点

 

vivanon_sentence吉岡彌生はナチスの婦人対策を高く評価していました。結婚資金貸付制度、ムッターハイム(母の家)、キンダーハイム(子どもの家)、母性学校、母乳搾取分配所、育児休暇など。

たしかに出産休暇は先駆的とも言えますが、『ナチ・ドイツ清潔な帝国』によると、これは有給ではなかった上に、実際にはほとんどとることはできなかったとのことです。実権のない看板だったゲルトルート・ショルツ=クリンク同様に、制度までが中身のない看板でありました。

ここも吉岡彌生と似てますが、ショルツ=クリンクはベルリンにソ連軍がやってくる前に逃亡します。戦後も偽名を使って潜伏していたのですが、1948年にフランス軍に捕らえられます。

ナチスの女性党員のトップに君臨し、内実はともなっていなかったにしても、国内外に向けての広告塔を忠実にやってのけたのですから、当然のごとく無傷ではいられず、ショルツ=クリンクは4年間刑務所に入れられます(拘留期間が長かったためで、裁判では2年6ヶ月の判決だったよう)。

驚いたことに、それ以降、1999年に亡くなるまで、ショルツ=クリンクはナチス思想を支持し続けたらしい。しかし、インタビューでも、ホロコーストなど都合の悪い事実については一切答えなかったそうです。見たくないことは見ないヒトラー体質、ナチス体質の実行者だったわけです。

してみると、公然と言わなかっただけで、吉岡彌生も死ぬまで国家主義、全体主義思想は捨てていなかったかもしれない。

手のひら返して、戦争協力したことをなかったことにする人たちや、自ら積極的に関与したのに、「反対できなかった」と言ってのける人たちよりはまだましか。どっちもどっちか。

※「Frauen Warte」はナチスの女性誌で、国家社会主義女性同盟発行。ハイデルベルク大学が全号公開しています。この表紙はヘルマン・ゲーリングとその娘

 

 

未婚の母のためのレーベンスボルン

 

vivanon_sentence時代を戻します。

出生率を上げるため、堕胎を厳しく取り締まるとともに、未婚でも子どもが産めるよう、1935年、ナチスはヒムラーの主導でレーベンスボルン(Lebensborn/生命の泉)を設立します。レーベンスボルンはおもに未婚女性のための出産、育児施設であり、その子どもを養子として斡旋し、夫を失くしながら子どもは欲しい女たちに優秀なSS隊員を種馬として斡旋することもやりました。

このことから、SS隊員の売春施設だとの噂も流れたようですが、これは誤解。母親たちは特権を得てますが、セックスで対価を得たのでなく、出産で対価を得たのです。その代わり、障害がある子どもを産むと、子どもは殺害され。母親は健康な子どもを生む能力がない欠陥品としてレーベンスボルンから追い出されました。

未婚の母や寡婦のための施設で留まればまだよかったかもしれないのですが、ナチスはとめどもなく暴走していくのが常です。

戦争が始まると、いよいよ若い男は戦争に駆り出され、しかも、多数の戦死者が出る。とうていこれでは「子どもの増産」はままならない。

そこで、北欧人種は純粋なアーリア人であると見なし、ゲルマン民族の男と北欧人種の女との結婚は認め、レーベンスボルンではその組み合わせの出産も受け入れ、とくに占領下にあったノルウェーには国外でもっとも多い9カ所にレーベンスボルンを設立します。

Wikipediaよりレーベンスボルンでのナチス式洗礼

 

 

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