松沢呉一のビバノン・ライフ

不正をする心理を正確に知ることは難しい(自分の経験で考える)—カンニングの仕組み[3]-(松沢呉一)

学問における不正は倫理観・知力・信仰・国籍とは無関係—カンニングの仕組み[2]」の続きです。

 

 

学業における不正を見極めることの難しさ

 

vivanon_sentence「学業における不正」というテーマは面白いのだけれど、正確なことを知るのは難しい。その難しさにたびたびぶつかって考え込んでしまいます。ネットにはなんの根拠もなく「カンニングするのはこういうタイプ」という決めつけが出ていたりしますが、全然当てにならないです。

このテーマの調査では「あなたはカンニングしたことがありますか」と聞いて、その体験と考えを知る方法がとられていたりしますが、自分自身のことを考えても、なぜ不正をしたのかを正確に答えることが難しい。

私が体験した不正のひとつは高校の定期テストの時に、覚えられない単語を試験が始まる直前にいくつか机に書いておくようなものです。これはたまにやってました。

カンニングペーパーのようなものは使ったことはなく、そんなもんを作るくらいだったら覚えた方が早いのと、証拠物件を残すと言い逃れができないからです。その点、机に書いただけだったら、「オレじゃねえよ」と言い張れます。

そこは「敵」もわかっていて、消しゴムを持って教室を回る教員もいました。見つけると消す。それでおしまいです。その時に罪悪感があったか否かを思い出すと、ほとんどなかったんじゃなかろうか。教員もその程度の不正はさほど重視していなかったと思います。

仲のいい友だちが横にいると、互いに答案用紙を見えるようにすることもありました。助け合い精神。これも罪悪感なし。

もっと大胆なヤツは机の下で教科書や辞書を開いていましたが、それ見ても悪いことをしているとの感覚は薄かった、あるいはまったくなかったように思います。「やってるな」って感じです。

机に書く以上のカンニングがバレた生徒がいたかどうか覚えてないですが、いたとしても叱られて終わりだったんじゃなかろうか。

高校時代の私は劣等生ですから、いい成績をとりたいとも思っておらず、他人が不正でいい成績をとったところで、それにも関心が薄い。かといって赤点をとって進級できなくなるから不正をしていたのでもなく、とくに英語の成績は悪くなかったですから、なんのためにそんなことをしていたのかよくわからない。当時もわからなかったかもしれない。

※名城嗣明「大学生のカンニングに対する態度」は1963年の調査。この頃から国外でカンニングについての調査が行なわれるようになっていて、それを受けて琉球大で行なわれたものです。先行した米国の調査で「現在の試験制度は学生対教授の一種のゲームの様相を呈している」との指摘がなされていると紹介していて、この指摘は私の高校時代の感覚として納得できます。敵の裏をかいたら勝ち。

 

 

反抗心としてのカンニング

 

vivanon_sentence「なんで高校時代は罪悪感が働かなかったのか」と考えて行きついたのですが、高校時代の不正をあえて言うなら反抗心の発露であり、仲間意識の確認だったかと思います。休み時間にトイレでタバコを吸うことの延長。

 

 

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