松沢呉一のビバノン・ライフ

明治時代は教会で恋に落ちた。今は読書会で恋に落ちる—猫町倶楽部初体験(2)-(松沢呉一)

読書会で知り合って結婚したのが60組!!—猫町倶楽部初体験(1)」の続きです。

 

 

 

明治時代の出会いの場だったキリスト教会

 

vivanon_sentence岩野泡鳴の自由恋愛論とその実践—女言葉の一世紀 155」で取り上げた岩野泡鳴の「青鞜社演説会当時の演説」(男女と貞操問題 : 僕の別居事実と自由恋愛論』収録)で、岩野泡鳴はこんな指摘をしていました。

 

 

僕が二十歳前後の時には男子が婦人と知己になると云ふ所は、自分の家に遊びに来るものの外では、耶蘇教の教会堂たッた一つでした。其教会に来る婦人が矢張り社会的に男子に会ひ、男子と交際の出来たのである。所が、其耶蘇教の教会で婦人が初めて男子を知り、男子も初めて婦人と交際が出来ると、その初めて交際が出来た男女がきッとくッ付き合ってしまふもののやうに極ってゐたものです。何故かと云ふと、余り男女の間が懸隔ってゐたのが、旧にその隔てが取れるので、目鼻もつかないうちに恋愛関係が生じて来るからです。

 

 

これ以外のところでも岩野泡鳴はこのことを語っていたはずです。

明治になって女子の処女性や貞操が尊重され、男女の役割分担も強化され、農村部は別にして、男女の交際が自由にはできなくなっていきます。その一方で、恋愛結婚が奨励され、これまでの家と家との結婚やそれを前提にした見合い結婚が否定的に語られるようにもなります。そんなことを言われたって、学校は男女別、男女が2人で外を歩くこともままならない時代に、どうやって恋愛をし、結婚すればいいのかって話です。

その空白を埋めたのが教会でした。若い男たちや女たちは、耐性がありませんから、教会で同世代の異性と席を同じくし、祈り、歌い、語ることで瞬く間に恋に落ちました。

時代はうんとあとですが(昭和7年)、世を騒がせた坂田山心中調所五郎と湯山八重子が知り合ったのも教会でした。親の反対のために死を選んだものであり、旧来の家族制度と恋愛との対立と見なすことができますが、キリスト教からすると、心中はあってはならないわけで、教会は2人の出会いの場を作り出し、愛を育む場所を提供しただけだったようにも見えます。

あの2人が熱心なクリスチャンだったのかどうかはいくらかの疑問がありますけど、多数の心中を生み出すと同時に死を選択するほどの熱い恋愛を求めて教会に行った人たちもいたかもしれない。

外に向けては禁欲的な性を広げながら、その場を教会が独占したようなものです。教会が出会いの場を作り、教会で式を挙げ、信仰の拠点となるキリスト教徒の家庭を作り出すことに成功したのです。

岩野泡鳴はそこまで書いていたわけではないですが、意図的にキリスト教では男女交際を奨励し、結婚を祝福した側面もあるかもしれない。教会は出会いの場になるイベントが目白押しですから。

 

 

今の時代の教会は読書会

 

vivanon_sentence私はかつて「どんな教団でも勧誘してきたら断らない」という方針でしたから、いろんな教団に入信してます。

ある深夜のこと、家に帰ろうと歩いていたら、きれいなおねえさんが「お茶でも飲みませんか」とナンパしてきまして、ついていったら教会で、その日のうちに洗礼を受けました。プロテスタント系新興宗教です。この教会に行ったのはこれ一回だけですが、やめた記憶はないので、今もここの信者のはずです。自分が入っている教団の名称も忘れちまいましたが、ここに限らず、あっちもこっちも信者です。

英会話教材の販売やマルチ商法の勧誘もそうですけど、エロを匂わせた方が騙しやすいってものです。「騙す」というと言葉が悪いですが、どんな時代も、恋愛やセックスは、行動の動機になるってものです。

岩野泡鳴の演説は上の引用文に続いて「もはやそんな時代ではない」と展開していきます。

この演説は大正初期のものであり、この頃からリベラルな空気が広まっていくのですが、やがては戦時体制に入っていき、岩野泡鳴が仮想した「公園あたりで愉快に若い女と男とが公然親しみ合ってゐる」ような「米国などの状態」は敗戦を待たないと実現しませんでした。これを率先して実現したのは米兵とパンパンであったことは闇の女たちで見た通り。

今の時代に初めて異性と交流して直ちに恋に落ちるわけではないにしても、職場での恋愛がしにくい時代、したくない時代、そしてしてはならない時代に、教会の役割を果たすのが読書会です。

と大きく出てみました。

前回に続いて大阪のペットショップにいたアビシニアン。私は1時間ほど、このすぐ横にある小さな橋のたもとでアウシュヴィッツの本を読んで時間潰しをしていたのですが、ふと見たらこんなのがこっちを見ているわけですよ。「運命的な出会い」と思って買いそうになりました。明治時代の人たちは教会でこうやって恋に落ちたんだなと思いました。前回のレッドとこのブルーの2匹がいて、どっちもかわいい。この話も続きます。

 

 

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