松沢呉一のビバノン・ライフ

1960年代初頭イスラエルでナチス・ポルノが大流行—カ・ツェトニック135633著『痛ましきダニエラ(人形の家)』[8]-(松沢呉一)

カ・ツェトニック135633の実名はイェヒエル・デ・ヌール—カ・ツェトニック135633著『痛ましきダニエラ(人形の家)』[7]」の続きです。

 

 

 

『痛ましきダニエラ』はポルノであるとの指摘

 

vivanon_sentence痛ましきダニエラ』は研究者から「ポルノである」との批判を受け、ドイツ将校の相手をするユダヤ人売春婦はあり得ないとも指摘されています。

快楽区の記述はすべてウソであり(ドイツ人対象ではない慰安施設はアウシュヴィッツ内に存在していたと言われるのですが、詳細はわからない。その資料だと思って私はこの本を読み始めたのですが、その点ではまるで役に立ちませんでした)、事実のわけがないという点は同意しますし、ポルノであるという指摘にもある程度は同意。私の場合はポルノだとして貶めたいのではなく、肯定的に言っています。事実とかけ離れたところで自由に想像を羽ばたかせることができるのがポルノです。そのポルノのために、あまりに現実に近い設定、つまりナチスによる強制収容所を借りてきた小説です。

この小説の読みどころはそのポルノ部分にあります。あとはここを盛り立てる設定に過ぎない。

痛ましきダニエラ』は、大いに売れたにもかかわらず、映画にはなってないようです。そりゃそうです。映像化すれば、後半は完全にポルノになります。とくに乱交シーンはごまかしようがない。

この本自体がポルノではないとしても、ナチス・ポルノの途を開いた作品であることは、stalags(סטאלגים)によって明らかです。

1960年代、イスラエルでは多数のポルノ小説が発行されます。stalagsと呼ばれる一群のポルノ小説は米国で出されたものの翻訳本という体裁をとりながら、国内で書かれたものでした(stalagという名称はスロベキアにあったドイツ軍の捕虜収容所の名称に因んだものだと思われる)。当初私は、『痛ましきダニエラ』はイスラエルで出された小説の体でイギリスで書かれた小説、あるいは日本で書かれた小説ではないかと疑いました。その逆の構図です。

これらstalagsでは、捕虜になった米兵パイロットが、はみ乳の淫乱サディストである女親衛隊によって縛られ、吊るされ、鞭打たれるなどの拷問を受け、最後は逆襲して捕虜が女親衛隊を襲って終わるというのが典型的なパターンで、ほとんどの作品がこのパターンらしい。

これらstalagsは『痛ましきダニエラ』にインスパイアされたものでした。

Wikipediaよりドキュメンタリー映画「Stalags」のポスター。英語タイトルの「Pornography」のスペルが間違ってます。この映画は、今年4月、イスラエルの制作会社が1回だけのネット配信をしています。ロックダウン用でしょう。

 

 

ホロコーストとポルノ

 

vivanon_sentenceこの事実はそれまでにも指摘されていたようですが、Ari Libsker監督によって2008年に公開されたドキュメンタリー映画「Stalags—Holocaust and Pornography in Israel」で広く知られるようになります。解説やレビューを見ると、これらの小説を書いていた作者に取材をしていて、作者はすべてイスラエル人であり、多くは強制収容所から生還した人々の子どもたちだったそうです。

さすがに彼らはユダヤ人をここにからめることはできなかったと見えます。あまりに近くて、フィクションとしてでもやってはいけない感覚が生じたのではないか。『痛ましきダニエラ』を書けたイェヒエル・デ・ヌールよりも抑制的であり、良心的かもしれない。

捕虜になった米兵がアーリア系であれば、セックスしてもナチスの優生思想に反しない。『痛ましきダニエラ』を書けたイェヒエル・デ・ヌールよりもナチスの現実を重視。

Stalagsはポルノとして出されたものですから、事実であると錯覚する人はほとんどおらず、その点ではイェヒエル・デ・ヌールより良識ある出版です。

イェヒエル・デ・ヌールはダニエルという少女をいたぶるところに高まりを感じたのと違い、こちらは鍛えられた肉体を持つ男がはみ乳美女にいたぶられるところに高まりを感じるのですから、私はこっちの方が好きかもしれない。

 

 

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