松沢呉一のビバノン・ライフ

ハチャル・フンデッサを殺害したのは誰か—ポストコロナのプロテスト[50]-(松沢呉一)

オロモの歌手殺害を契機に数百名が死亡—ポストコロナのプロテスト[49]」の続きです。

 

 

オロモがオロモのスターを殺した?

 

vivanon_sentenceでは、謎に迫ります。ハチャル・フンデッサを誰が殺したのかです。

ハチャル・フンデッサ殺害については4名の容疑者が逮捕されているのですが、未だに詳細は発表されていないようで(追記参照)、容疑者の名前も不明。日本でも捜査中の情報は外に出さなかったりはしますが、それでも出していい内容についてはメディアに向けて発表をします。それさえやらない国もたくさんあって(中国もそれに近い)、「あとは裁判で」ってことかと思います。裁判も非公開の国もあるでしょうが。

私が読んだ中でもっと説得力のあったのは騒動から一ヶ月後の8月初頭に出された以下の記事。

 

 

How the murder of musician Hachalu Hundessa incited violence in Ethiopia: Part I

 

 

パート2。

How the murder of musician Hachalu Hundessa incited violence in Ethiopia: Part II

 

これもエチオピアのメディアであり、筆者のEndalkachew Chalaはデジタルメディアを専門とする大学の助教授とのこと。この記事でも、専門分野のデジタルメディアがこの騒動で果たした役割について触れていますが、主題は「誰がなぜ殺したのか」です。

当局は、ティグレ人民解放戦線関係か、オロモ解放軍関係であるとの見方をして捜査を進めているとありますが、筆者はオロモ解放軍(ここではOLF-Shaneという名称)説を支持し、解放軍のどの組織が関与したのかまで書いています。

なぜオロモがオロモのスターを殺す必要があるのかを説明するのがまた大変。できるだけシンプルにやりますが、それでもムチャクチャ複雑です。覚悟のこと。

※これを書いてから1ヶ月くらい経っているのですが、今も事件について当局からの発表はないようです。

 

 

オロモ解放戦線の遺恨の始まり

 

vivanon_sentenceオロモ民族を背景にした政治団体は大きくふたつあります。ひとつはアビィ・アハメド首相が長らく属していたオロモ民主党(Oromo Democratic Party)。オロモ人民民主機構(Oromo Peoples’ Democratic Organization)になっていることもありますが、同じ団体だと思われます。

以下の団体名もすべてそうですが、もともとの名称はティグレ語だったり、オロモ語だったりするのですが、それだと他の言語のエチオピア人にさえわからないので、それぞれ英語の名称を使うことも多いようです。英語の名称がふたつあるのは、その訳の混乱なのか、統合されて名称が変わったのかは不明。

もうひとつのオモロ民族の政治団体はオロモ解放戦線(OLF/Oromo Liberation Front)です。

1960年代、ハイレ・セラシエ1世によるオロモ弾圧に対抗するグループは国外に脱出して、エチオピア国民解放戦線(Ethiopia NationalLiberation Front/ENLF)を結成。今回初めてわかったのですが、ラスタファリアンが敬愛するハイレ・セラシエ1世はオロモにとってはオロモ弾圧の象徴みたいな存在です。

事実、この騒動の中で、ロンドンにあったハイレ・セラシエ1世のがオロモ集団に破壊されています。

 

 

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