松沢呉一のビバノン・ライフ

『夜と霧』『痛ましきダニエラ』『親なるもの 断崖』の共通点—V.E.フランクル著『夜と霧』[付録編9]-(松沢呉一)

イルゼ・コッホとルドルフ・スパナー—V.E.フランクル著『夜と霧』[付録編8]」の続きです。

 

 

『夜と霧』『痛ましきダニエラ』『親なるもの 断崖』が事実より重んじた点

 

vivanon_sentence日本版『夜と霧』で気になっていることは他にもあります。

ヴィクトル・フランクルが見たのは3日間滞在したアウシュヴィッツであり、3年間滞在したダッハウのサテライトキャンプです。男ですから、彼が体験したのは男が収容される施設です(医師としてわずかに女の収容者を診た例が出てきますが)。にもかかわらず、『夜と霧』掲載の解説は半分以上が女の収容所であったラーフェンスブリュックに費やされています。ラーフェンスブリュックもサテライトキャンプが多数あり、男性用収容所もあり、本体にも男性は一部しましたが、いずれにせよヴィクトル・フランクルはかすりもしなかった収容所です。

本文の内容からして、フランクルの文章が舞台としているふたつ収容所の沿革やそのふたつの収容所を担当した親衛隊などの主要人物の説明をメインにするのが自然であり、そうすれば解説の役割も果たせたのに、どうして女性収容所、なおかつガス室が設けられたのは戦争末期の収容所にそうも力を入れたのか。

また、この本の広告と訳者あとがきでは二人の子どもが捏造されて殺されたことにされました

『痛ましきダニエラ』では、存在しない妹と日記が捏造されました

『親なるもの 断崖』では現実には存在しなかった、子どもと言ってもいい年齢を含めた少女たちが陵辱されます

夜と霧』の解説、『痛ましきダニエラ』、『親なるもの 断崖』のどれも犠牲になったのは女と子どもであったとするために事実が改竄され、捏造されました。

痛ましきダニエラ』の著者であるイェヒエル・デ・ヌールには弟がいて、収容所で殺されたようですが、その弟を主人公にした小説も、自分を主人公にした小説も『痛ましきダニエラ』の前後に彼は書いています。しかし、売れたのは『痛ましきダニエラ』でした。

「女子供」が酷い目に遭わされている方が残酷だからであり、残酷さを求める読者はそれを喜ぶのです。

それ以外に理由は考えられず、『夜と霧』の「解説」では、ラーフェンスブリュック末期にガス室ができて以降と人体実験に力点があります。もっとも残酷に思われる部分を、フランクルの体験とは無関係に解説はピックアップしている。あの解説は本文を読むのに必要な情報を提供する気ははなっからなく、残酷博覧会を狙ったものですから、こうなります。

73. Jahrestag der Befreiung der Häftlinge des KZ Ravensbrück 「英軍将校にも裁判批判をした人はいた—収容所内の愛と性[14]」「被告の半分近くが女だったのは「女はサディストだから」か?—収容所内の愛と性[16]」「ユダヤ人女性収容者でも髪の毛を伸ばしていた—収容所内の愛と性[27]」あたりで多数使ってますが、私は残酷博覧会より、解放後の写真の方が好きです。これはラーフェンスブリュックの解放後。バターをたっぶり塗ったパンや中身のあるスープはさぞかしうまかったでしょう。

 

 

女子供バイアス

 

vivanon_sentenceこれは「サイレント・エピデミック」第二部のテーマでもあります。第一部はほとんど読む人がいなかったので、やる気が失せてしまって、第二部はたぶんこのまま未発表になりそうですので、ここで概要だけを書いておきます。

サイレント・エピデミック」第一部で確認したように、日本の自殺者は男の方が女の倍程度多い。また、前年までから割り出される予測値との比較から「男女ともに自殺は増えている」と見るべきなのに、前年の数字とただ比較して「男は減っていて、女は増えてる」として、なお圧倒的に少ない女の自殺を大きく取り上げ、「男は自殺してもいいが、女が自殺するのは止めなければならない」という日本のメディア(一部メディアではなく、大半がそうです)の論調はいったいどこから発したのか。

 

 

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