松沢呉一のビバノン・ライフ

ナチス支配下で正気を保つ方法—セバスチャン・ハフナー著『ナチスとのわが闘争』[2]-(松沢呉一)

死後世に出た「ナチス問題を解く鍵となる本」—セバスチャン・ハフナー著『ナチスとのわが闘争』[1]」の続きです。

 

 

1933年のドイツ

 

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前回書いたように、セバスチャン・ハフナー著『ナチスとのわが闘争——あるドイツ人の回想1914-1933』は、「いつ書いたものか」についての議論があるのですが、著者が「日記として書いたものに手を加えていない」なんて言っているわけではないのだし、版元が売るために意図的な嘘を言っているわけでもないのだから、「信用できない内容」という話ではありません。記述は正確であろうとの前提で以下進めていきます。

本書は時間軸に沿って進行していくのですが、私の記述はたびたび時間軸を無視していますので、正確な推移は本書で確認してください。

子どもの頃に第一次世界大戦があって、その屈辱から愛国少年になった話から始まりますが、本の3分の2は1933年の始まりから夏までの出来事です。たった数ヶ月のことです。

この時にドイツで何が起きたのか、簡単におさらいをしておきます。

 

 

1月30日 ヒトラー内閣発足

2月27日 国会議事堂放火事件

2月28日 大統領緊急令を発令して共産党員を逮捕

3月5日 国会議員選挙で、ナチスは288議席を獲得(45パーセント)

3月24日 全権委任法が可決され、独裁政権樹立

4月1日 ユダヤ人ボイコットの告示(主導者はシュトライヒャー)

7月24日 ナチス以外の政党禁止

 

 

1月30日から3月24日のわずか2ヶ月足らずで、その後の10年以上、あるいは今にいたるまでのドイツが決定し、数百万人のドイツ人、数百万人のユダヤ人の命が決定しました。

この時にセバスチャン・ハフナーは司法官試補として法曹界の端っこにいました。エリート層とは言えても、まだ裁判官や弁護士になれると決まったわけではありません。ユダヤ人ではなく、同性愛者でもなく、左翼でもない「普通の人」である著者の仕事にもナチスは侵入してきて、また生活にも家庭にも侵入し、やがては心の中にも侵入してくる様を克明に記録しています。

今になってみれば「あの時に抵抗しておけば」と思うわけですが、それはナチス・ドイツの結末を知っているからであって、最初からナチスに嫌悪感を抱き、この春のうちには国外脱出を決意してやがては実行したセバスチャン・ハフナーは卓抜した眼力と決断力があったからであって、それがなければ人々はただ耐えるか、迎合していきました。

ここでの心の動きは「面倒なことに関わりたくない」「生活を安定させたい」「周りに合わせておきたい」といった、我々の心の中でも極々日常的に生じているものです。

ナチスに反対する人々でも、多くのはナチスをまだそこまでは警戒しておらず、警戒していても「すぐにあんな連中は消える」と楽観してました。とくにナチスを利用できると思っていた国家人民党などの保守勢力の人々はそうでした。しかし、わずか数カ月後には自分たちの党も解体させられていきます。

共産党を潰したあとの選挙でも過半数はとれなかったわけですが、3月以降、党員になるのが激増していて、自身を有利にするためだとしても、反発よりも服従が国全体を支配していきます。

本書を読むと、なぜドイツ人はあの時に手をこまねいたまま受け入れてしまったのかがよくわかりますし、抵抗することや国外に脱出することがいかに困難だったのかもわかります。

※Wikipediaより「1933年3月23日、議場で全権委任法への賛成を要求するアドルフ・ヒトラー」 全権委任法を阻止することはまだ可能だったはずですけど、今ではその内容から「全権委任法」と呼ばれているだけで、正式名称は「民族および国家の危難を除去するための法律」(Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich)であり、議員たちでさえその怖さを理解していなかったのがいたのではなかろうか。法を通したがる勢力はこういうことをよくやりますので、条文の検討は必須です。

 

 

セバスチャン・ハフナーとユダヤ人

 

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「普通のドイツ人」として、セバスチャン・ハフナーが些か特殊だったことがあるとすればユダヤ人への姿勢です。

小学校卒業後、ケーニヒシュテットティッチェ・ギムナジウム(Königstädtisches Gymnasium)に通い、ここはベルリンで成功しているユダヤ人の生徒が多く、ユダヤ人にいい印象を抱きつつ交流していました。また、本書の主たる舞台である1933年、彼にはユダヤ人の恋人がいて、彼女を通して、ナチスがあらゆる場面に侵入してくるのをいち早く、かつ強烈に感じていました。

ベルリンと地方都市ではそのスピードと強度に違いがあるでしょうが、ユダヤ人の配偶者、恋人や友人、知人がいない人でも、職場に、居住地にその侵入を感じ取った人が多いでしょうし、18歳未満の子どもがいる人たちはヒトラー・ユーゲントとして子どもが家庭にナチスを持ち込んで、ゲシュタポの手先となって家族を監視し始めます。

学校も同様で、教師がこの頃はまだ数が少なかったヒトラー・ユーゲントの生徒に歯向かえなくなっていきます。

 

 

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