松沢呉一のビバノン・ライフ

個人主義を貫いたコメディアン、ヴェルナー・フィンク—セバスチャン・ハフナー著『ナチスとのわが闘争』[3]-(松沢呉一)

ナチス支配下で正気を保つ方法—セバスチャン・ハフナー著『ナチスとのわが闘争』[2]」の続きです。

 

 

わずかな間に塗り替わったドイツ人の意識

 

vivanon_sentence独語版Wikipediaによると、1940年に英国で出した最初の著書『ドイツ ジキルとハイド(Germany: Jekyll and Hyde)』で、この時点でのドイツ人を分類し、「国民社会主義者」が20パーセント、「忠実な人々」が40パーセント、「不誠実な人々」が 35パーセント、「反対」が5パーセントとしています。

ヒトラーを本気で崇拝し、ナチス党員になって積極的な活動をするのが20パーセント。

内心は納得していない部分があるとしても、強い者に盾付けず、あるいはその方が自分にとって有利と判断して、表面的にはナチスに忠実になる人々が40パーセント。

この合わせて60パーセントの人々はユダヤ人や左翼、ヒトラーの悪口を言う人がいたらゲシュタポに密告します。

露骨な反対はしないないながら、「ハイル・ヒトラー」とまではやらないのが35パーセント。やらなくてもこれだけで捕まるようなことは通常はないですから。殴られることくらいはあったかもしれないし、ゲシュタポにマークされる契機にはなったかもしれないけれど、積極的な協力もせず、自分の趣味に走るような人々です。

ビラの製作や配布、落書き、ユダヤ人の救援、ナチス施設の破壊など、捕まれば処刑されないような地下活動をやっていた人々、そこまでは至らないとしても、こっそりBBCをラジオで聴くような人々(外国放送は聴くだけで犯罪)が5パーセントってことです。

ドイツ共産党は、潰されるまで選挙で10パーセント以上得票することがあり、地域によっては3割以上の支持を得ていたのに、どこに消えたのでしょうか。一部は国外に逃げ、一部は収容所に入れられ、あとは「国民社会主義者」「忠実な人々」「不誠実な人々」に分散していきました。

この変り身も1933年におおむね完了しています。一気に変わったのです。またたく間にこれが起きたために、今まで気楽にナチスやヒトラーの悪口を言い合っていた人とも話せなくなる時代の到来です。

※セバスチャン・ハフナー著『Germany: Jekyll and Hyde』(英語版) 1940年に英国で出した最初の著書で、今でも読み続けられているナチス論の定番らしい。英国ではこういうものが読み続けられ、日本では残酷博覧会がまだ開催中

 

 

笑いで救われたセバスチャン・ハフナー

 

vivanon_sentenceこの本に私が深く共感したのは、著者の視点や考察の部分なのですが、この中に出てくる「出来事」でも無性に心が揺さぶられるエピソードがいくつかあって、そのひとつは笑いです。

前回書いたように、3月31日には高等法院に突撃隊がやってきて、一日にしてナチスの暴力的支配に屈服するわけですが、なお今まで通りに生活を何もなかったかのように続けようとする著者は、その夜、ユダヤ人の恋人とカタコンベに向かいます。

カタコンベは「地下埋葬所」の意味ですが、ここでは1929年にコメディアンのヴェルナー・フィンクらが創立したキャバレーです。このキャバレーはラインダンスをやるようなキャバレーとは違い、酒を飲みながらコメディを楽しむ芝居小屋あるいは寄席のようなものです。

そこではいつものようにコメディが演じられていて、満員の客席は沸きに沸いていました。

ナチスの弾圧はもっとも危険な共産党、続く社会民主党をまず対象とし、政権運営に重要な国会を掌握し、支配が不可欠な裁判所やメディアを屈服させるといった順番になっていて、ゲイクラブ、女装クラブは早かったでしょうけど、芝居小屋、キャバレー、バー、カフェは後回しとなり、まだ多くの国民は「そう長くは続かない」とばかりに酒を飲み、ダンスに興じておりました。

ヴェルナー・フィンクは、わかる人にはわかるようにダブルミーニングを使用し、また、「隠された落ち」をやって、抵抗の笑いを見せていました。

 

高等法院は倒れた。だがカタコンベは存続したのである。

 

こういった笑いに抵抗としての意味があるのかって議論があるわけですが、その場にいた人たちは気が狂わなくて済みます。少なくともセバスチャン・ハフナーは救われました。

このヴェルナー・フィンクはこれ以降も抵抗を続け、場内に潜んでいるゲシュタポやゲシュタポの情報提供者が書き残すことができないように早口でしゃべる技術をも駆使し、カタコンベは不服従の「地下埋葬所」と化していきます。

Berlin, Katakombe, Szenenfoto 1934 Szenenfoto mit Irene Scheinpflug und Käte Nick, Rudolf Platte, Werner Fink, Inge Bartsch, Isa Vermehren und Toby Kleinschmidt. photo by Josef Schmidt  1934年5月の写真。右下チョビヒゲはヒトラー役か? あれがフィンクかもしれない。

 

 

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