松沢呉一のビバノン・ライフ

軍隊式教育で自分自身の内面がナチス化されていく—セバスチャン・ハフナー著『ナチスとのわが闘争』[7]-(松沢呉一)

メディアの発達は個人を消滅させる(側面もある)—セバスチャン・ハフナー著『ナチスとのわが闘争』[6]」の続きです。

 

 

集団に埋没していくセバスチャン・ハフナー

 

vivanon_sentenceセバスチャン・ハフナーは父親が出した条件通り、試験を受けて合格し、以降、研修中の記述が続くのですが、ここでの様子がこの時代を象徴しています。

その時の研修生たちはハーケンクロイツをつけた制服を来て、軍隊式の訓練までさせられます。つまりはナチスに従順な者しか法曹界には入れなくなってました。これが1933年のうちに起きていたのですから、そのスピードには改めて震撼とします。

しかし、その中には著者同様に、反ナチスの考えを隠し持っているのもいるはずで、互いに少しづつ近づいて腹を探っていきます。相手を間違えて胸襟を開いたらゲシュタポに密告され、裁判官や弁護士になる道は閉ざされますので、最大限の警戒心が必要です。

著者は休憩時間にその中の一人に誘われてチェスを始め、その時のラジオ放送でドイツが国際連合を脱退したことが流れ、それを受けて相手が「ナチの連中」という言い方をしたことをとらえて、著者はやっと安心します。しかし、相手はまずいことを言ったと気づいてか、それ以上の会話にはならず。

これは互いに賢明です。相手の策略かも知れず、ここで心を許すと密告されかねない。

こういう疑心暗鬼の中で人と接しなければならないこの研修では、結局、著者は誰とも本心を語り合えず、他の人たちも同様だったでしょう。

この研修はしっかりとその役割を果たしていて、著者自身がハイル・ヒトラーをやることの抵抗をなくし、ナチスの歌を歌っているうちに、だんだんその気になってきてしまいます。この変化を遂げた時に、反ナチスの思想をもっていることが相手に悟られているのは不利ですから、黙っていたのは正解。

1933年9月〜10月の農産物品評会のポスター。1933年のうちに、こんなにところにもハーケンクロイツ。おそらく誰が命じることもなく、担当者なりデザイナーなりが党員になって、自然とこういうものが作られていったのではなかろうか。下からの全体主義です。

 

 

世界でもっとも怠けるのが下手な国民

 

vivanon_sentence著者があれだけ嫌っていたナチス仕様の研修を受け入れていくのは不思議ですが、その心理をこう書いています。

 

 

そして最後に、そこには、私たちが自分でもはっきり気づかないうちに突然はたらきはじめた、ある奇妙な、非常にドイツ的な野心があった。つまり、ある抽象的な有能さへの野心である。課せられた事柄を、たとえそれが完全に無意味で、理解不能で、屈辱的でさえあっても、可能な限りよく行ない、考えられる限り立派に、事務的に、根本的に行なおうという野心である。

(略)こうした有能さの絶対化は、ドイツ的な悪習である。だがドイツ人は、それを美徳と考えている。いずれにせよ、それはドイツの最も奥深い特性の一つである。私たちは、そうでないふうにはできない。私たちは、世界中で一番へたな怠業者なのだ。私たちは自分たちのなすことを、一流になさねばならない。良心の声も自尊心も、それに太刀打ちすることはできないのである。

このこと、すなわち自分たちの今やっている事柄をよくなす——それが何であろうと、つまりちゃんとした有意味な仕事であれ、異常な出来事であれ、犯罪であれ——ということによって、私たちは深い、不品行な幸福を与える麻痺状態にいたる。この麻痺状態は、私たちがそこでまさに行なっているこの事柄の意味や重要性について、いかなることも考えなくてよいようにする。ドイツの警官は、泥棒が徹底的に手際よく一切がっさいを持ち去った犯罪現場をながめ渡して、なお感嘆して言うのだ。「いやこれは、じつによい仕事だ」と。

 

この箇所は、私が「戦後書いたんじゃないのかな」と疑った文章のひとつです。ホロコーストについて語っているとしか思えませんでした。言われた通りに、かつ効率的にユダヤ人を大量に殺していったルドルフ・ヘースの所業そのまんま。

 

 

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