アクセス数で報道の価値が決定する時代に—公開本数3,000本達成[下]-(松沢呉一)
「天安門事件の追悼をしても新型コロナの実情を報道しても逮捕される国—公開本数3,000本達成[中]」の続きです。
アクセス数偏重の時代
ちょっと前に聞いた話ですけど、今はどこのメディアもアクセス数が絶対的な基準になっていて、新聞や雑誌も「アクセスを稼げる記事」が至上命令になってきているそうです。前から言われていたことだし、私も指摘してきたことですが、昨今はさらに露骨に「アクセスを増やせ」と言われるのだと聞きました。報道ジャンルですよ。
インターネット登場以前だって「ニーズ」はマスメディアの基準のひとつではあったのですが、数字がはっきり見えない中では、ニーズのないものを入れ込む隙間がありました。数字がはっきり見える時代にはその余地がなくなる。数字は広告に直結しますから、無視はできない。とくに新聞も雑誌もテレビもかつてほどは儲からない時代にはその比重が大きくなり、金にならない報道はやりにくく、「受ける報道」をするようになります。
意味がないとわかっていても、目の前に数字が出されると、それを目指してしまって、「ビバノン」も公開本数3,000本。
SNSの影響も大きい。目先の受けを狙った情報がSNSでは拡散されていきますから、そのタイプの記事を出す。タイトルや切口の工夫で食いつきが全然違うので、同じような内容でも、受ける出し方をします。
最近、「ビバノン」でアクセスが多かったのは「子どもが次々と死んでいくインドの熱病と洪水の関係、そして日本のデング熱」でした。たぶん誰かがリンクしてくれたのだと思います。あれも、もっと恐怖や不安を煽るようなタイトルにして、本文でもデング熱やマラリアの可能性は軽く触れるに済ませ、「原因不明の謎の奇病」のような扱いにした方が読む人がさらに増えたでしょう。
そこはわかっているのですが、私はそれはできない。インドで報じられている内容を見る限り、デング熱かマラリアだろうと素人でも判断できて、あとは「デング熱だとすると死亡率が高すぎる」という疑問を解明するだけ。
その後のインドの報道を見ると、洪水との関係ははっきりしないながら、私が書いていたことはおおむね正しかったのだろうと思えます(「その後のハリケーン・アイダとインドの熱病とミャンマーのクーデター/現在のギニア—顔の見える場所・見えない場所」参照)。
事実の範囲である限り、読まれるテクを駆使するのはまだいいとして、昨年見られたように、データに反するようなことを書いて新型コロナの恐怖を煽るような記事が出てきてしまうのは困ったものです。報道ジャンルでそれをやったらまずいって。
※2021年9月6日付「rediff.com」 インドメディアです。公式発表によると、死者の大多数はデング熱、一部はツツガムシ病とレプトスピラ症とのこと。ツツガムシ病はツツガムシが媒介する感染症。レプトスピラ症は衛生環境の悪いところで動物の尿などが媒介する感染症で、かつては日本でも毎年50名程度が死亡。
「なんのためか」が消される報道
大手メディアでもペットネタを取り上げていることが増えているように思われます。アクセスが稼げますから。私はペットものはあまり観ないですが、動物ものは好きだし、珍しいペットだったら観るので、五十歩百歩。
一方どこのメディアでも国外のニュースは受けが悪いはずです。軽く読める記事、あるいは横目で観て理解できるオモシロネタやエロがかった内容であれば海外のネタでもアクセスは増え、その点でも動物ものは強いのですが、日本人にとって複雑であればあるほど取り上げられないか、薄い内容にされます。
たとえば以下。
わかりやすいオモシロネタ。この報道でこのことを知って、いつものように、たんに昇りたくて昇ったんだと思っていました。
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