三島由紀夫を知らない世代の登場—寺山修司と三島由紀夫の間/つげ義春と手塚治虫の間-(松沢呉一)
寺山修司はよく知っているのに、三島由紀夫はまるで知らない20代
今年経験したエピソード。
なんの話をしていたのか記憶にないですが、何人かでダベっている時に三島由紀夫の話になって、その場にいた20代前半の若者がこう言いました。
「三島由紀夫って誰ですか?」
この前に寺山修司の話をしていて、寺山修司についてはよく知っていて、寺山修司の映画まで観たことがあると言っていたかも。しかし、三島由紀夫については知らないのだと言います。名前を忘れていたわけではなく、「ゲイかつマゾで、市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺した人」と説明しても、まったくの初耳だったよう。
上の世代が知っていることを下の世代が知らないのは当たり前のことであり、よく例に挙げるように、私らの世代であればのらくろの絵は知っていても読んだことはなく、著者の田河水泡までは知らないのは普通のことです。私らの世代では「鬼滅の刃」の著者名を知らないのは普通のことであるのと同じ(吾峠呼世晴ね)。
自分も体験している「普通のこと」にもかかわらず、このことから「最近の若いもんは三島由紀夫も知らない」と言い出したら老化ってことですが、川端康成や谷崎潤一郎が忘れられていくことがあっても、三島由紀夫が死後半世紀で忘れられてしまうことを私は想定しておらず、あの世代としてはもっとも忘れられない存在だと信じて疑ってませんでした。
※Steven C. Ridgely 『Japanese Counterculture: The Antiestablishment Art of Terayama Shuji』
三島由紀夫と寺山修司/横井庄一と小野田寛郎
三島由紀夫は1925年生まれで、自決したのは1970年。私が小学校6年生の時のことで、世間は大騒ぎになっていました。小学生の私でも三島由紀夫は認知していて、楯の会をやっていることも知ってました。
対して寺山修司は1935年生まれですから、10歳下。亡くなったのは1983年。三島由紀夫の13年あと。三島由紀夫が享年45だったのに対して寺山修司は享年47。三島由紀夫の演劇的死に様に対して、寺山修司は病死です。亡くなった際には話題になったとは言えども、三島由紀夫ととは全然違っています。存在としても、寺山修司はすでにピークを過ぎていたと言えて、私自身、寺山修司は大きな影響を受けたと言っていいにもかかわらず、「ああ、亡くなったのか」といった感慨はあれども、衝撃まではなかったと思います。
三島由紀夫だって作品は同世代としては異例と言っていいくらいに今なお読めて、対して寺山修司の著作は歌集を除いて、生前多数出ていたエッセイや戯曲のほとんどが絶版になってましょう。
にもかかわらず、0か1かくらいに認知が違うことが意外でした。
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