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柳下毅一郎の皆殺し映画通信

『任侠野郎』 主演:蛭子能収の「正統派任侠映画」。こういうものが「映画」を名乗ってしまうって、やはり映画コンプレックス?(柳下毅一郎)

 

任侠野郎

監督 徳永清孝
脚本 福田雄一
音楽 牧戸太郎
挿入歌 蛭子能収
出演 蛭子能収、柳楽優弥、トリンドル玲奈、安田顕、橋本マナミ、北原里英(NGT48)、橘ケンチ、佐藤二朗

 

 

face 製作は吉本興業と日本テレビ。「『ローカル路線バスの旅』なんかもあるし、最近エビスさん若い人にも人気なんですよ!」みたいなことを言い出した人がおり、そこで誰かが「エビスさんがヤクザとか面白いんじゃないか? 人畜無害に見えて実は怖いって評判あるし」てなことを言い出して、そこで吉本と組んでタレントをそろえ、おなじみ日本コメディ映画界の泰斗である福田雄一にささっと脚本をやっつけてもらって、日テレのディレクター様の映画監督デビュー作があっさりできあがったというわけである。

いやはや。

こういうものが「映画」を名乗ってしまうのって、やはり映画コンプレックス、「本編」の「監督」を至上のものとする価値観なのではなかろうか。今では映画なんてたいしたもんでもなんでもなく、高給取りのTVディレクターが趣味で作れてしまう程度のものなのに、なぜわざわざテレビのバラエティ程度のものを映画にしようとするのか。テレビのバラエティならテレビで放映するだけにしておけばいいのに。それでも「映画監督」という肩書きに憧れる者は引きも切らない……やれやれである。

しかもこの映画、コピーに「こんな蛭子、見たことない! 正統派任侠映画がここに完成!!」とあるとおり、実はコメディではないのだ。蛭子さんはまったくギャグではなく(まあ、冷静に考えるまでもなく、蛭子さんにギャグなんかできないのはわかりきっている –演技すらできないんだから)、普通にヤクザを演じているだけ。蛭子さんが真面目にやればやるほど、任侠映画のパロディとしておもしろくなる……いや理屈はそうなのかもしれないが、それ相手役に本当にまともな人を配するとか、ストーリーをきっちり工夫するとかしないとならないと思うわけだが、福田雄一にそんなことが望めると?

 

 

これ、撮影に金がなかったのか、蛭子さんに複雑なことをさせられなかったからなのかわからないのだが、会話シーンがほとんど屋外で撮られている。道端でばったり会った人が会話をはじめると、それをミドルショットで撮ってるだけ。やたら人間が街角で立ったまま会話する映画! そしてその会話では、できるだけ蛭子さんのセリフを減らすために、情報はすべて会話相手のほうに振られる。だから

「かつては関東一円にその名も知られた小里組の姐さんの葬式が、こんなにひっそりとやらなきゃならないなんて…」
「しかたないだろう。組は解散したんだ」
「あの人さえいてくれたらなあ……」

そこにあらわれた男が名前を書く。

「源治兄い! 出てらしたんですか! なんで来てくれなかったんです!」
「もう……オレはただの一市民だからな」

てな会話が頻出する。しかし破綻させないようにするために蛭子さんの役目を減らすとか、当初の目的と乖離していないだろうか? つまりは蛭子さんに仕事を大量にふってパニックにさせてしまうと、それはただのテレビ・バラエティにしかならないのである。なので一応は格好がつくようにしているわけだが、そこでできあがるのはただの低予算の下手クソなヤクザ映画ごっこでしかないわけで。蛭子さんの歌う主題歌に合わせて(照明を使ってないので)真っ暗な住宅地を蛭子さんが相棒と歩いて行くシーンで笑える人にはいいんじゃないかな?

 

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(残り 1019文字/全文: 2458文字)


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tags: トリンドル玲奈 佐藤二朗 北原里英(NGT48) 安田顕 徳永清孝 柳楽優弥 橋本マナミ 橘ケンチ 牧戸太郎 福田雄一 蛭子能収

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