「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

インタビュー中、レオの目から熱いモノがこぼれ落ちる瞬間があった。「感極まってしまったよ」と照れ笑いし、インタビューを終えてグラウンドへ向かった [レオ・セアラインタビュー(後編)]

【レオ・セアラ選手インタビュー(後編)】

実施日:725日(日)

インタビュー・文:藤井 雅彦

 →前編からつづく

 

インタビュー後編ではレオ・セアラが幼少期を回想し、現在に至るまでの険しい道のりを語ってくれた。

15日の大分トリニータ戦ではマリノスを勝利に導く2ゴールを挙げ、いよいよ本領発揮の香りが漂ってきた背番号9

知られざるルーツの中に、モチベーションの理由が存在していた。

 

©Y.F.M

 

 

レオ・セアラが生を授かったのは、ブラジル北東部に位置するセアラー州の州都・フォルタレーザ。世界第5位の人口数を誇るブラジルにおいて5番目に人口が多い大都市だ。

だが、そこはさすがにサッカー王国。大自然に囲まれた田舎も、文明の利器に溢れた都会も関係ない。子どもたちに聞けば、そのほとんどが「夢はプロサッカー選手」と答えるのがブラジルである。

レオも例に漏れず、少年時代からサッカーの道を志した。テレビ画面の向こう側にいる選手たちに憧れた一方で、一筋縄では行かないことは早くから理解していたという。それでも、自分のためだけではなく家族のために夢を叶えるという使命感に駆られた。

 

 

「住んでいる地域は都会だったけど、僕が生まれ育った家庭は決して裕福ではなかった。庶民的な暮らしで、生活するのに必要最低限の物しかなかった。両親も恵まれていない環境で育ち、教育を満足に受けられずに育ってきた過去がある。ブラジルではみんながサッカー選手を目指すし、険しい道のりが待っていることは子どもながらに分かっていたが、僕は家族のためにプロサッカー選手になることを決めたんだ」

 練習グラウンドに通うにはバスに乗らなければいけなかったが、チケット代が足りないこともしばしば。悔しさを押し殺し、レオは一人でボールを蹴った。4人兄弟の家庭に育ったこともあり、自分だけがワガママを言うわけにはいかなかった。

 

 

だからこそ、幼少期にもらった両親からもらったプレゼントが忘れられない。

「両親は家計が苦しい中でも子どもたちに苦労させないように頑張ってくれた。今でもしっかりと覚えているのは、僕たちにPlayStationを買ってくれたこと。すごく奮発してくれたと思う。とにかくうれしくて、兄弟たちでサッカーゲームに夢中になったよ」

 12歳の時にバイア州のクラブに所属し、本格的にプロを目指すルートに乗った。金銭面で両親に多くを頼ることはできなかったが、その環境がレオをハングリーにしたのかもしれない。精いっぱいのサポートがたまらなくうれしくて、レオは「両親と家族は自分の誇りだ」と胸を張る。

 

 

その後、ヴィトーリアでプロキャリアをスタートさせて初めてサラリーを得る。夢を叶えたレオは、今度は家族のためにできる限りを尽くそうと考えた。

 

 

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