【連載第四回:取材記】西村雄一
~第四章~
■西村が審判になった理由
東京出身の西村は、小学校からサッカーをはじめ、卒業アルバムにも「サッカーの会社か(有名)チームに入ること」と書くなどプロ選手を目指していた。
駒沢サッカークラブでサッカーにのめりこみ、東京都立新宿高等学校に入学し、全国高校サッカー選手権を目指す。一方で、指導者の道に魅力も感じており、この頃から、駒沢サッカークラブで簡単な指導をスタートさせている。そこが審判の原点でもある。
「子分(駒沢サッカークラブの後輩たちの総称)と一緒にサッカーをやったり、審判をしていたんですけど、あるときその子分たちの試合で、主審が誰もが間違えないようなルールの適用ミスをして負けてしまったことがあったんです。そのときの子分たちの悔しそうな顔を見て、もうそんな思いをさせたくないと思ったのがきっかけです。子供の夢を壊されたという憤りも感じて。自分が審判員なら、ここまでのミスはしないだろうと」。
1994年に日本電子工学院専門学校(現・日本工学院専門学校)を卒業すると、オフィス機器販売メンテナンス会社のボナファイドに就職する。土日が休みで転勤がなく、サッカーにかかわり続けることができる。そんな条件で探した就職先だった。
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