石井紘人コラム【町田vs名古屋で家本政明主審が退場者を間違えてしまった理由。そしてバッシングに覚える違和感】の記事について
「主審は最終決定者」であるため、家本主審が批判されるのは当然だ。私も批判している(参考記事:なぜ100%のミスをおかした?どうすれば防げるか?)。
だが「家本のミスを待っていました」とばかりに、判定の中身を論じず、過去のイメージからバッシングを行うのはスポーツではない。
ミスに対して、我々はカイゼンを要求すべき。今回でいえば、副審のレベルアップで、それは先日の報道(参考記事:【「疑惑の判定」村上伸次主審に「またやられた」? 「明らかにPK」柏×鳥栖戦で「誤審」指摘】という記事)にも繋がる。
批判の後に、オルタナティブ(代わりの提案)がなければ、それは批評とも議論とも呼べないと著名なジャーナリストは指摘する。
http://j-ron.jp/jron201700817.php
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